フランス王ルイ7世(2)
文字数 810文字
7月1日に王太子一行はアキテーヌ領内に到着する。11日、ボルドーに到着したルイ王太子と対面したアリエノールは、その頼りなげな姿に落胆するものの政略によって人生が急変した点においてルイに共感した。しかしアキテーヌ公家に比してカペー家の歴史は浅く、アキテーヌ公領の方が遥かに豊かで広大であることから、驕った考えを持ち内心でルイを見下していた。
25日にボルドーのサン・タンドレ大聖堂で結婚式が挙行、続く大宴会で1,000人も招待され数日間賑やかに催された。8月1日、アリエノールとルイ王太子がポワティエ入りしたその日、ルイ6世が危篤となったため、王太子夫妻はパリに急行してルイ6世の葬儀を済ませ戴冠式も挙行する。こうして夫妻は結婚とほぼ同時に国王ルイ7世・王妃アリエノールとなり、ルイ7世は単独のフランス王となった。
父の死から4ヶ月足らず、アリエノールは15歳でフランス王妃となった。南仏アキテーヌの女領主として育った陽気なアリエノールと、修道院育ちであり生真面目で信仰心の篤いルイ7世は性格が合わなかった。後に離婚した際にアリエノールはルイ7世のことを「王と結婚したと思ったら、僧侶だった」と言ったといわれる。しかしルイ7世の温和な性格から、不仲は表面化しなかった。2人の間にはマリー、アリックスの娘2人が生まれたが男子をもうけることは出来なかった。