アキテーヌ公ギヨーム8世(3)
文字数 776文字
アキテーヌ公ギヨーム8世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ギヨーム8世は3度結婚し、少なくとも5人の子供が知られている。
最初の妃はペリゴール伯アルダベールの娘ガルサンドであったが子供は生まれず、彼女は後に離婚して尼僧となり、サントの修道院に入った。
2人目の妃マティルドとの間には1女が生まれたが、ギヨーム8世は不妊を理由に1068年5月に離婚した。
・アニェス(1052年ー1078年)カスティーリャ王アルフォンソ6世の最初の妃。
ギヨーム8世は兄がいて最初は後継者に選ばれていませんが、最初の結婚では子供にも恵まれていないですね。
3人目の妃は又従妹に当たるブルゴーニュ公ロベール1世の娘イルドガルド(オデアルドとも)で、彼女との間に以下の子女をもうけた。しかしこの結婚が正当であるという承認を得るために、ギヨーム8世はローマの教皇のもとへ赴かなければならなかった。
結婚までに苦労していますが、最終的にブルゴーニュ公ロベール1世の娘イルドガルドとの間にギヨーム9世が生まれています。
イルドガルドとの間には以下の子供がいた。
・ギヨーム(1071年ー1127年)
・アニェス(1072年ー1079年)アラゴン王ペドロ1世妃
・ベアトリス(?ー1110年)カスティーリャ王アルフォンソ6世と1108年に結婚、アルフォンソにとっては5度目の結婚で最後の王妃。結婚した翌年にアルフォンソと死別。寡婦となりメーヌ伯エリー1世と再婚し後妻になったとされる。
・ユーグ(?ー1126年以降)
他、名前不詳の愛人との間に庶子が3人、そのうちの1人は娘であるとされる。
・アニェス(?ー1151年以降)
ギヨーム8世の娘の3人がカスティーリャあるいはアラゴンの王妃になっていて、イベリア半島の王国と深い関係があったようです。
次回からギヨーム9世について調べてみます。
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