イングランド王ウィリアム1世
文字数 1,087文字
1087年、フランス遠征中に落馬して受けた傷が原因で、ルーアンに近いサン・ジャーヴェにて60歳で亡くなった。死因はマンテの攻城戦の折、落馬した時に鞍頭で受けた胴部の傷が原因だった。遺体はノルマンディーのカーンにあるセントピーターズ教会で埋葬された。
ウィリアム1世のイングランド征服の後、イングランドが外国軍によって征服されることはなく、後の王家は全てウィリアム1世の血統を受け継いだ。またウィリアム1世の宮廷ではノルマンなまりのフランス語が使用されたが、時代とともに現地の言葉と融合し、現代に至る英語が形成されていった。
アラゴンだって開祖ラミロ1世、そしてラミロ2世の血を長い間ほぼ直系で受け継いできた。それなのにフアン1世の世代、弟のマルティン1世の代で直系の血が途絶え、カスティーリャの王子フェルナンド1世がアラゴン王に選ばれた(母がフアン1世の妹だったため)おまけにフアン1世はフランス人の王妃に宮廷を牛耳られて国の財政を傾け、不真面目王などという不名誉な名前を付けられた。歴代のアラゴン王の祖先に申し訳ないと思わないのか。
私には夢がありました。神聖ローマ帝国の皇帝ヴェンツェルと狩りを通じて親しくなり、フランス人の王妃と協力してアラゴンをフランスに負けない文化的な国にしたいと考えました。娘をフランスの王族に嫁がせ、ゆくゆくは子孫をフランス王妃にしたいとも・・・でも夢はかなわずに私は後継者を残すことなく突然死してしまいました。
フアン1世の娘ヨランド・ダラゴンはアンジュー家に嫁ぎ、娘のマリーがフランス王シャルル7世の王妃になっています。ヨランドはシャルル7世をフランス王にするために活躍している、アラゴンの血は彼女を通じてフランス王家に流れ、フアン1世の夢を叶えているのです。