カール4世(2)
文字数 1,008文字
1330年、カールはパリを去り、翌1331年からの2年間、教皇庁が1309年に南フランスのアヴィニョンに移った後(アヴィニョン捕囚)、イタリアにおいては、強力な皇帝による安定したイタリア統治を望む声が強まり、教皇派と皇帝派の対立が再燃した。
1333年、17歳になったカールはボヘミアに帰り、不在の父に代わってボヘミア及びその分国であるモラヴィアの経営にあたった。1334年にはモラヴィア辺境伯となり、さらには1340年からは失明した父の代理としてボヘミアを統治した。
ボヘミア王国の都プラハの小丘の上、プラハ城の城壁の中に立地する聖ヴィート大聖堂がゴシック様式によって建設されたのは、カールの王子時代の1344年11月のことである。大聖堂は、北フランスのアラス出身のマテュー(マティア)を招いて起工された。これにともない、従来プラハには教区の統括者としてマインツ大司教座に属する司教が置かれていたが、以後は独立した大司教(プラハ大司教座)が置かれることとなった。