カール4世(2)

文字数 1,008文字

カール4世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1330年、カールはパリを去り、翌1331年からの2年間、教皇庁が1309年に南フランスのアヴィニョンに移った後(アヴィニョン捕囚)、イタリアにおいては、強力な皇帝による安定したイタリア統治を望む声が強まり、教皇派と皇帝派の対立が再燃した。
アヴィニョン捕囚とはキリスト教のカトリック・ローマ教皇の座がローマからアヴィニョンに移されていた時期(1309年ー1377年)を指します。
カールはイタリア遠征のなか、ミラノを牛耳るヴィスコンテ家の手の者に毒を盛られかけたり、メディチ家率いるフィレンツェ共和国との戦いを自ら指揮したりしながら、政治上ないし軍事上の経験を積み重ねた。
この時カールは14歳から16歳、僕と同じくらいの年齢で遠征に出たりとすごい経験をしています。
父上が毒を盛られて死んでいたなら、余もジギスムントも生まれていないことになる。
そうなったら歴史は大きく変わっていたと思います。ヴェンツェルの父上がご無事でよかったです。
一方、芸術家や文人たちとの親交によってルネサンス初期の人文主義に触れた。なお「最初の人文主義者」と称されるイタリアの詩人ペトラルカは若きカールに期待した一人であった。
カールはイタリア遠征で大変な思いもしましたが、よい経験もしていますね。
1333年、17歳になったカールはボヘミアに帰り、不在の父に代わってボヘミア及びその分国であるモラヴィアの経営にあたった。1334年にはモラヴィア辺境伯となり、さらには1340年からは失明した父の代理としてボヘミアを統治した。
このように若い時から少しずつ統治を任されるというのはとても幸運だと思います。私など父が元気で長生きしたため、なかなか任せてもらえませんでした。
ボヘミア王国の都プラハの小丘の上、プラハ城の城壁の中に立地する聖ヴィート大聖堂がゴシック様式によって建設されたのは、カールの王子時代の1344年11月のことである。大聖堂は、北フランスのアラス出身のマテュー(マティア)を招いて起工された。これにともない、従来プラハには教区の統括者としてマインツ大司教座に属する司教が置かれていたが、以後は独立した大司教(プラハ大司教座)が置かれることとなった。
聖ヴィート大聖堂です。
王子時代における13年間におよぶボヘミア統治の経験は、父の没後の王位継承をきわめて円滑なものとした。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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