ジェームズ1世(イングランド王)(12)
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一方でジェームズ1世は、統一に向けて自分が影響を与えられることは行った。第一に1604年10月20日の布告で「グレートブリテン王」と自称し、第二に新しい硬貨「ユナイト」を発行してイングランドとスコットランドの両国に通用させた。最も重要なことは、イングランドのセント・ジョージ・クロスとスコットランドのセント・アンドリュー・クロスを重ね合わせたユニオン・フラッグを1606年4月12日に制定したことである。新しい旗の意匠は他にも5種類ほど提案されたが、他の案は重ね合わせではなく組み合わせたものであったり、イングランド旗部分が大きいものであったりしたため、ジェームズ1世は「統一を象徴しない」として却下した。
また、イングランド国王就任時からアイルランドは植民地となっており、先代からの反乱(アイルランド九年戦争)の首謀者・ティロン伯ヒュー・オニールはイングランドに降伏していた(1607年に逃亡)それを踏まえてジェームズ1世は1608年から1610年まで、アイルランド北部アルスター地方へジェントリを通じてイングランド人、スコットランド人の入植を行った。ロンドンデリーはそうした入植で出来た植民地都市である。
植民地アイルランドの統一政策も行い、入植でカトリックの先住民から土地を奪いプロテスタントの入植者へ入れ替え、カトリックを公職に就かせず、カトリックの有力貴族の家系で幼少のジェームズ・バトラー(後のオーモンド公)を引き取りプロテスタントに養育、1613年のアイルランド議会の庶民院の選挙介入も行い、プロテスタント議員がカトリック議員より人数を上回るようにした。特にベーコンは植民政策に対しての著作を残している(『随筆集』第33編「植民について」より)