ティコ・ブラーエ(9)

文字数 1,030文字

ティコ・ブラーエについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ヴェン島はそれまで直轄王領地であり、島内には自らを自由自営農と考える50家族が居住していたが、ティコ・ブラーエがヴェン島の封建領主に任命されるとともにこの状況は変わった。ティコは農業計画を支配し、従来の2倍の耕作を農民たちに要求した。また彼は新しい居城を建設するために厳しい賦役労働を農民たちに課した。農民たちはティコ・ブラーエによる過酷な徴税に不平を言い、彼を法廷に立たせた。法廷はティコが徴税と賦役を課す権利を確立し、島の領主と農民の間の相互義務の詳細を定めた。


農民たちはティコが領主になって徴税や賦役が過酷になり不満を持ったのですね。
ティコ・ブラーエはウラニボリの彼の城を軍事的な要塞ではなく、芸術と科学の神々ミューズに捧げる神殿にすることを構想した。それ故に、その城は後に天文学のミューズであるウラニアにちなんで命名された。建設は1576年に(彼の錬金術実験のための地下研究室と共に)始まった。ウラニボリはヴェネツィア人建築家アンドレーア・パッラーディオに影響を受け、北欧でイタリア・ルネサンス建築の影響が見られる最初の建造物の1つとなった。
これはブラーエの著書『Astronomiae instauratea mechanica』(1598)に描かれたウラニボリです。
これはジョアン・ブラウの著書『Atras Major』(1663)に描かれたウラニボリです。
ウラニボリについて詳しい説明があったので、ここで続けて紹介します。
ウラニボリ(Uraniborg)は、ティコ・ブラーエが設立、運営したデンマークの天文観測所、錬金術の研究所である。1576年頃から1580年頃に当時はデンマーク領であったスウェーデンのエーレスンド海峡にあるヴェン島に建設された。後に拡張され、隣接地の地下にスターニボリが作られた。
ウラニボリは絵を見てもとても美しい建築物です。
ティコ・ブラーエは天体観測だけでなく、錬金術も含めた総合的な科学研究所としてウラニボリを作ったのですね。
ウラニボリは、天文学のムーサであるウーラニアーに捧げられ、「ウーラニアーの城」という意味の言葉が命名された。望遠鏡を主要機器としないものは最後ではなかったが、近代ヨーロッパで初めての特注の観測施設であった。1576年8月8日に礎石が設置された。
城の絵やウラニボリという名前からティコ・ブラーエの強い思いが伝わってきました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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