ティコ・ブラーエ(9)
文字数 1,030文字
ヴェン島はそれまで直轄王領地であり、島内には自らを自由自営農と考える50家族が居住していたが、ティコ・ブラーエがヴェン島の封建領主に任命されるとともにこの状況は変わった。ティコは農業計画を支配し、従来の2倍の耕作を農民たちに要求した。また彼は新しい居城を建設するために厳しい賦役労働を農民たちに課した。農民たちはティコ・ブラーエによる過酷な徴税に不平を言い、彼を法廷に立たせた。法廷はティコが徴税と賦役を課す権利を確立し、島の領主と農民の間の相互義務の詳細を定めた。
ティコ・ブラーエはウラニボリの彼の城を軍事的な要塞ではなく、芸術と科学の神々ミューズに捧げる神殿にすることを構想した。それ故に、その城は後に天文学のミューズであるウラニアにちなんで命名された。建設は1576年に(彼の錬金術実験のための地下研究室と共に)始まった。ウラニボリはヴェネツィア人建築家アンドレーア・パッラーディオに影響を受け、北欧でイタリア・ルネサンス建築の影響が見られる最初の建造物の1つとなった。
ウラニボリ(Uraniborg)は、ティコ・ブラーエが設立、運営したデンマークの天文観測所、錬金術の研究所である。1576年頃から1580年頃に当時はデンマーク領であったスウェーデンのエーレスンド海峡にあるヴェン島に建設された。後に拡張され、隣接地の地下にスターニボリが作られた。
ウラニボリは、天文学のムーサであるウーラニアーに捧げられ、「ウーラニアーの城」という意味の言葉が命名された。望遠鏡を主要機器としないものは最後ではなかったが、近代ヨーロッパで初めての特注の観測施設であった。1576年8月8日に礎石が設置された。