ジェームズ1世(イングランド王)(1)

文字数 1,293文字

スコットランド女王メアリー1世とダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの子ジェームズ1世(イングランド王)についてです。作品集は下の画像から入ってください。
ジェームズ6世およびジェームズ1世、チャールズ・ジェームズ・ステュアート(1566年ー1625年)は、ステュアート朝のスコットランド、イングランド、アイルランドの王。
スコットランド王としてはジェームズ6世(在位1567年ー1625年)であり、イングランド王・アイルランド王としてはジェームズ1世(在位1603年ー1625年)である。非公式にはグレートブリテン王の称号も用いた。スコットランド女王メアリーと2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの一人息子である。
メアリーが廃位されたことにより、幼い時にジェームズ6世としてスコットランドの王位を継ぐことになります。
イングランドとスコットランドの王位を初めて一身に兼ねた君主であり、各国との協調政策に尽力し、「平和王」とも言われている。この後ヨーロッパで広がる「王権神授説」の基礎を作ったが、国王と王妃の出費から財政的には逼迫させ、議会と最終的には対立してしまう。
国の財政を傾けたというところは私とよく似ています。
スコットランドだけでなくイングランドの王も兼ねていながら財政的な問題があったというのは意外でした。
チャールズ・ジェームズは1566年6月19日、スコットランド女王メアリーの第1子としてエディンバラ城で生まれた。名付け親はイングランド女王エリザベス1世である。
エリザベス1世はメアリーとダーンリー卿の結婚には反対していたのに、名付け親になっていたのですか?
メアリー女王の最初の男子であり、誕生後間もなくロスシー公に叙され、正式にスコットランド王位継承者とされた。女系継承ではあるが、ジェームズの父親でメアリーの2番目の夫であるオールバニ公ヘンリー・ステュアート(ダーンリー卿)もまたステュアート家の一族であり、ジェームズ以降の家系もそれまでと区別なくステュアート家と呼ばれる。
母メアリーだけでなく父のダーンリー卿もまたステュアートの一族で、王位継承者として有利だったのですね。
ダーンリー卿の家系はステュアート・オブ・ダーンリー家と呼ばれ、男系ではステュアート朝以前に後の王家と分かれており、ロバート2世の祖父である第5代王室執事長ジェームズ・ステュアートの弟の子孫であった。ダーンリー卿は生得の権利として有力な王位継承権を持っていたが、これは父方の曾祖母エリザベス・ハミルトンがジェームズ2世の外孫であったことによる。
かなり前の世代まで遡っています。
またジェームズは有力なイングランド王位継承権者でもあったが、これは母方の祖父ジェームズ5世がヘンリー8世の姉(エリザベス1世の伯母)マーガレット・テューダーの息子であったことによる。さらに、マーガレット・テューダーはダーンリー卿の母方の祖母でもあった。
マーガレット・テューダーはジェームズ4世の死後、第6代アンガス伯アーチボルト・ダグラスと結婚して生まれた娘がマーガレット・ダグラスで、ダーンリー卿の母になります。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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