ジェームズ1世(イングランド王)(1)
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スコットランド王としてはジェームズ6世(在位1567年ー1625年)であり、イングランド王・アイルランド王としてはジェームズ1世(在位1603年ー1625年)である。非公式にはグレートブリテン王の称号も用いた。スコットランド女王メアリーと2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの一人息子である。
イングランドとスコットランドの王位を初めて一身に兼ねた君主であり、各国との協調政策に尽力し、「平和王」とも言われている。この後ヨーロッパで広がる「王権神授説」の基礎を作ったが、国王と王妃の出費から財政的には逼迫させ、議会と最終的には対立してしまう。
メアリー女王の最初の男子であり、誕生後間もなくロスシー公に叙され、正式にスコットランド王位継承者とされた。女系継承ではあるが、ジェームズの父親でメアリーの2番目の夫であるオールバニ公ヘンリー・ステュアート(ダーンリー卿)もまたステュアート家の一族であり、ジェームズ以降の家系もそれまでと区別なくステュアート家と呼ばれる。
ダーンリー卿の家系はステュアート・オブ・ダーンリー家と呼ばれ、男系ではステュアート朝以前に後の王家と分かれており、ロバート2世の祖父である第5代王室執事長ジェームズ・ステュアートの弟の子孫であった。ダーンリー卿は生得の権利として有力な王位継承権を持っていたが、これは父方の曾祖母エリザベス・ハミルトンがジェームズ2世の外孫であったことによる。
またジェームズは有力なイングランド王位継承権者でもあったが、これは母方の祖父ジェームズ5世がヘンリー8世の姉(エリザベス1世の伯母)マーガレット・テューダーの息子であったことによる。さらに、マーガレット・テューダーはダーンリー卿の母方の祖母でもあった。