ルノー・ド・シャティヨン(3)
文字数 770文字
エルサレム軍の指揮官ともなったルノーは、ボードゥアン4世が1177年にサラーフッディーンを破ったモンジザールの戦いに参加した。その後、ルノーはボードゥアン4世とサラーフッディーンの間に和平が結ばれたにもかかわらず、1181年にメディナを襲う姿勢を見せた。進軍中に牽制を受けて退却したが、隊商から200,000枚の金貨を略奪し、ボードゥアン4世の返還命令を拒絶した。1182年冬/1183年1月にメッカ・メディナに向けて進軍し、紅海貿易を掌握するために艦隊を出動させる。しかし、ルノーの艦隊はアイザーブ沖でエジプト軍に撃破され、生き残った170人の捕虜はカイロで処刑された。
カラクはサラーフッディーンの弟アル=アーディルの包囲を受けたが、天然の要塞であるカラクは1か月を越える包囲に持ちこたえた。1184年7月にカラクはサラディン、アーディルによって再び包囲を受けたが、援軍の到着によって窮地を脱した。エルサレム王ボードゥアン4世の救援でカラク城は救われたものの、立場が弱くなったルノーはギー・ド・リュジニャンと連携し、トリポリ伯レーモン3世と対抗した。