オリヴィエ・ド・クリッソン(2)

文字数 1,073文字

オリヴィエ・ド・クリッソンについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1380年にゲクランが死亡するとフランス総司令官の地位を継承し1392年までその地位にあった。
フランス軍の総司令官はブルターニュ出身の者が多いではないか。ブルターニュ出身の者はなぜそんなに強いのか気になる。
同年にシャルル5世も崩御、後を継いだ子のシャルル6世に臣従、1382年にはジェントの市民と協力してローゼベーケの戦いで敵を撃退すると、1387年にはブレスト攻囲の指揮を執った。
シャルル6世に狂気が見られるのはいつ位からですか?
シャルル6世に狂気の兆候が現れたのは1392年からで、ブルターニュとの戦争の準備をしていた頃です。
ブルターニュ公ジャン4世がいろいろ問題を起こしたからシャルル6世の狂気の発作も始まったのでしょうか?本当にブルゴーニュとブルターニュはフランス王家を悩ませています。
1387年にはシャルル6世のイングランド侵攻作戦の指揮を執り、ポワトゥーとフランドル等で指揮を執った。この作戦はクリッソンの艦隊を襲った海上暴風と名目上はフランス王側についていたはずのブルターニュ公ジャン4世の非協力的な態度により、不首尾に終わる。
クリッソンはシャルル6世と協力してイングランドと戦っていたけど、ブルターニュ公ジャン4世は非協力的だったのですね。
クリッソンとジャン4世の仲違いが再燃すると、クリッソンはブルターニュ継承戦争時からのジャン4世の仇敵であるパンティエーヴル家側の戦死したシャルル・ド・ブロワと妻ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの嫡男ジャン1世・ド・シャティヨンに娘のマルグリットを嫁がせた。
え、今度はパンティエーヴル家に娘を嫁がせてしまうのですか?
そのため、ジャン4世はクリッソンを恐れるイングランドにそそのかされたこともあり、1387年6月にヴァンヌに議会を開いてブルターニュの諸侯を集めると、そこにクリッソンを誘い込んで捕えてしまった。ジャン4世はクリッソンを暗殺してしまおうとしたが、シャルル6世及びブルターニュ諸侯の介入があり、身代金と共に解放せざるを得なかった。しかしクリッソンも大きな代償を支払い、故郷クリッソン・ジョスラン・ランバルなど10か所の城塞と10万フランの身代金をジャン4世へ渡す羽目になった。
ジャン4世もクリッソンも本当に極端ですね。
これはジャン4世とクリッソンが2人ともブルターニュ出身だからこうなってしまうのでしょうか?それともフランス人はみんなこうなのか・・・私の憧れの国フランスのイメージがどんどん崩れています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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