オリヴィエ・ド・クリッソン(2)
文字数 1,073文字
1387年にはシャルル6世のイングランド侵攻作戦の指揮を執り、ポワトゥーとフランドル等で指揮を執った。この作戦はクリッソンの艦隊を襲った海上暴風と名目上はフランス王側についていたはずのブルターニュ公ジャン4世の非協力的な態度により、不首尾に終わる。
クリッソンとジャン4世の仲違いが再燃すると、クリッソンはブルターニュ継承戦争時からのジャン4世の仇敵であるパンティエーヴル家側の戦死したシャルル・ド・ブロワと妻ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの嫡男ジャン1世・ド・シャティヨンに娘のマルグリットを嫁がせた。
そのため、ジャン4世はクリッソンを恐れるイングランドにそそのかされたこともあり、1387年6月にヴァンヌに議会を開いてブルターニュの諸侯を集めると、そこにクリッソンを誘い込んで捕えてしまった。ジャン4世はクリッソンを暗殺してしまおうとしたが、シャルル6世及びブルターニュ諸侯の介入があり、身代金と共に解放せざるを得なかった。しかしクリッソンも大きな代償を支払い、故郷クリッソン・ジョスラン・ランバルなど10か所の城塞と10万フランの身代金をジャン4世へ渡す羽目になった。