ブルゴーニュ公フィリップ3世(6)
文字数 1,160文字
フランス東部とドイツ西部の境目に連なる領土を手に入れたフィリップ3世は以後も外交活動を継続、1453年にヘントの再度の反乱を鎮圧、リエージュ司教領の人事に介入して甥のルイ・ド・ブルボン(妹アニュスとブルボン公シャルル1世の子)を司教に就任させ、オスマン帝国に対する十字軍提唱(実行されず)、1456年にシャルル7世との仲が悪化した王太子ルイ(後のルイ11世)のブラバント迎え入れも行っている。
当たり前です!私の娘ヨランドと義理の孫シャルル7世がこの男にどれだけ苦しめられたか思い出してください。ジャンヌ・ダルクをイングランド軍に売り渡せと命じたのも、孫のロレーヌ公ルネ・ダンジューを捕えてディジョンに幽閉したのもこの男です。ああ、この顔を見るたびにムカムカしてくる。ブルゴーニュはアラゴンの敵です!
百年戦争の後半の展開を左右したフィリップ3世だが、ネーデルラントにおいては領土を拡大し、安定した統治を行った。金羊毛騎士団を創設し、騎士道文化が最盛期を迎えた。フーベルト、ヤンのファン・エイク兄弟などのフランドル派絵画や、ネーデルラント楽派の音楽はヨーロッパで最高水準の物となった(北方ルネサンス)
1403年にフランス王シャルル6世の娘で又従姉に当たるミシェル・ド・フランスと婚約、1409年に結婚したが、1422年に子供のないまま死去。
1424年、ウー伯フィリップ・ダルトワの娘で叔父のヌヴェール伯フィリップの未亡人でもあるボンヌ・ダルトワと再婚したが、1425年に産褥死。
1430年にポルトガル王ジョアン1世の娘であるイザベル・ド・ポルテュガルと3度目の結婚を行い、彼女との間に嫡子シャルルをもうけた。