ナバラ王カルロス2世(1)

文字数 1,482文字

ボヘミア王ヨハンの娘でカール4世の姉であるボンヌとフランス王ジャン2世の子がフランス王家や他の重要な貴族の祖先になっているのですが、娘もそれぞれいろいろなところに嫁いでいました。その中でジャンヌが結婚したナバラ王カルロス2世が、悪人王という渾名がついていたので、どんな悪いことをしたのか気になって(笑)調べてみました。作品集は下の画像から入ってください。
カルロス2世(1332年ー1387年)はナバラ王(在位1349年ー1387年)、エヴルー伯(在位1343年ー1387年)邪悪王(伯)悪人王と呼ばれる。
渾名が邪悪王や悪人王というのはすごいですね。そんなに悪いことをしたのでしょうか?
ナバラ王フェリペ3世とナバラ女王フアナ2世(ジャンヌ、フランス王ルイ10世の娘)の子。ロングヴィル伯フィリップ、ボーモン伯ルイの兄。
父からエヴルー伯領を、母からピレネー山麗のナバラ王国の他にコタンタン半島の一部やモルタン伯領、ヴェクサンにあるポントワーズやボーモン・シュール・ワーズやアスニエール・シュール・ワーズなど(1328年に母がフランス王位請求権及びシャンパーニュとブリーとの引替に取得していた)を相続した。カルロス2世はルイ10世の女系の孫であり、長い間フランス王位を取り戻すことを熱望していた。エヴルー家はフィリップ3世の男系の子孫であり、ヴァロワ家が断絶した場合は最有力の後継候補であった。
ものすごく複雑ですが、フランス王位を狙っていたのはイングランドのエドワード3世だけでなく、ナバラのカルロス2世もいたということですね。
イングランドのエドワード3世は有名ですが、ナバラ王カルロス2世というのは名前を聞いたことなかったです。
カルロス2世は上記の理由に加え、姉ブランシュがフランス王フィリップ6世の後妻だったこともあり、初めは懐柔のためフランス宮廷で育てられた。フィリップ6世の息子ジャン2世もこの方針を受け継ぎ、1352年に娘ジャンヌをカルロス2世に娶わせたが、カルロス2世の方は徐々にフランス王位の野心をあらわにした。
ここでカルロス2世がフランス王位を考えた母方の祖父ルイ10世について簡単に説明します。
ルイ10世(1289年ー1316年)はフランス王(在位1314年ー1316年)およびナバラ王(在位1305年ー1316年)フランス王フィリップ4世とその妃であるナバラ女王ファナ1世の長男。フィリップ5世、シャルル4世の兄。その治世の中、諸外国との争いに明け暮れたため、強情王または喧嘩王とあだ名される。
ここであの有名なフィリップ4世とつながるのですね。
ルイ10世の短い治世の中、フランスとブルゴーニュ公国やイングランドとの争いが絶えなかった。王はフランス王軍をブルゴーニュとの境界に動員し、穀物などの禁輸を命じたが、効果を挙げられなかった。1316年、ジュ・ド・ポームの後、冷たいワインの飲み過ぎで胸膜炎か肺炎になり、ほどなく崩御した。王妃クレマンス・ド・オングリーは妊娠中だったため、子が生まれるまで王弟フィリップが摂政を務めた。ルイ10世の崩御から5ヶ月後、生まれた子供は男子でジャン1世として即位したが、一週間たたずに夭折し、王弟フィリップがフィリップ5世として王位を継承した。ジュ・ド・ポームが好きで、世界初の屋内テニスコートの建造を命じたという。
私も人のこと言えませんが、冷たいワインを飲み過ぎて死ぬなんて、王としてあまりよくないですね。
このルイ10世の血がナバラ王カルロス2世に流れ、そして後に百年戦争を左右する重要人物にもその血が流れています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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