メアリー・オブ・ギーズ(3)
文字数 937文字
しかしマリーは、かつてボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンの父パトリックが、スコットランドの名門貴族でありながら報酬のいいイングランドで働いたり、盗賊団と組んで一仕事をし、ついには投獄された後でさえ、彼を許したほどの寛大な女性であった。
彼女は「スコットランドでは和解の精神をもっと行動する事。処罰する際でも柔和と節度を重んじる事」というのを座右の銘としていた。宗教に対しても、プロテスタントであっても寛大な姿勢で対応しようとした。フランス人の行政官を採用したのも、フランスと比べてスコットランドの行政は不正であると感じたからだった。
しかしこのような、彼女の何事にも寛容さを持って臨む姿勢は、スコットランドではしばしば裏切られることとなる。当時のスコットランドにおける王家の支配力はフランスやイングランドなどのヨーロッパ諸国に比べて格段に劣り、親仏派・親英派に分かれてそれぞれフランス・イングランドから資金援助を受けていた氏族によって牛耳られていた。
さらに、後にはカトリックとプロテスタントの信仰による分裂もこれに加わり、スコットランドは混沌の度合いを増していった。氏族の間では争いが絶えず、協力する事もあるが、特に理由もないまま敵対する事もあった。スコットランドの国内は、無秩序状態と言ってもよかった。マリーは議会に諮り、スコットランドの国策を緩やかに立てていこうとしたが、ギーズ家の弟達は姉のそういう方針には反対で、「姉は善人かもしれないが、ああいう緩やかな方法では何もかもめちゃくちゃになる」と言っていた。