ルノー・ド・シャティヨン(1)
文字数 830文字
ルノー・ド・シャティヨン(1125年頃ー1187年)は、フランスの騎士。1147年に第2回十字軍に参加し、1153年にアンティオキア公国のコンスタンス女公と結婚し、アンティオキア公となる。ヒッティーンの戦いで捕らえられ、サラーフッディーン(サラディン)自ら彼を処刑したといわれる。対イスラム強硬派であることに加えて、敵に対しては容赦なく略奪の限りを尽くしたために強盗騎士として悪名高く、キリスト教穏健派や東ローマ帝国関係者、イスラム教徒各々から忌み嫌われた存在だった。
ルノー・ド・シャティヨンは名門貴族の家に生まれ、アンティオキア女公コンスタンスと結婚してアンティオキア公になっています。恵まれた立場にいるのになぜ残虐非道な人間として忌み嫌われるようなことをしたのでしょうか?
武装巡礼として中東を訪れてエルサレム王ボードゥアン3世に仕官し、1147年に第2回十字軍に参加した。ルノーは前夫を亡くしていたアンティオキア公国のコンスタンスと1153年に結婚してアンティオキア公となる。良家の出身で軍事経験があり、国政に関与しない取り巻きを持たないルノーの婿入りは当初アンティオキア側から歓迎された。しかし、強引な手法はアンティオキアの家臣から不満を持たれ、アレッポを支配するザンギー朝からも嫌悪された。