ボンヌ・ド・リュクサンブール
文字数 1,231文字
ボヘミア王ヨハンの娘で神聖ローマ皇帝カール4世の姉であるボンヌ・ド・リュクサンブールについて紹介します。作品集には下の画像から入ってください。
ボンヌ・ド・リュクサンブール(1315年ー1349年)はフランス王ジャン2世の妃。ジャン2世が即位する前年に死去したため、王妃にはならなかった。ドイツ語名はユッタ、またはグタ。
ボンヌは王妃にはなっていませんが、フランス王家や何人もの貴族が彼女の子の代から始まっています。
ボンヌ・ド・リュクサンブールはルクセンブルク家のボヘミア王ヨハン(盲目王)と、ボヘミアおよびポーランド王ヴァーツラフ2世の娘エリシュカの娘として生まれた。神聖ローマ皇帝カール4世は同母弟、フランス王シャルル4世の2番目の王妃マリー・ド・リュクサンブールは叔母にあたる。
ルクセンブルク家はフランス王家とかなり関係が深いようです。
1332年7月28日に17歳で王太子ジャン、後のジャン2世と結婚した。この時、新郎は13歳であった。その後、ボンヌが死去するまでに、2人は4男7女をもうけた。
・ブランシュ(1336年)
・シャルル5世(1338年ー1380年)フランス王
私の義理の孫シャルル7世はフランス王シャルル5世の孫にあたります。
・カトリーヌ(1338年)
・ルイ(1339ー1384)ヴァロア=アンジュー家の祖、アンジュー公、プロヴァンス伯、ナポリ王
私の娘ビオランテ(ヨランド・ダラゴン)はこのルイ1世の子、ルイ2世・ダンジューと結婚しています。私が死んだ後ですが・・・
ベリー公のジャン1世は美術品の収集や芸術家のパトロンとして知られ、ランブール兄弟に『ベリー公のいとも豪華なる祈祷書』を作成させています。
・フィリップ(1342年ー1404年)ヴァロア・ブルゴーニュ家の祖、ブルゴーニュ公(豪胆公と呼ばれる)
この豪胆公の長男がブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)です。
私の義理の孫シャルル7世自身と義理の父になるルイ2世ダンジュー、敵のブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)の3人が皆フランス王ジャン2世とボンヌの子孫ですか?
ジャンヌ(1343年ー1373年)ナバラ王カルロス2世(悪人王、エヴルー伯シャルル)と結婚
・マリー(1344年ー1404年)バル公ロベール1世と結婚
バル公ロベール1世の娘ヨランドは私の2番目の妻で娘ビオランテ(ヨランド・ダラゴン)の母です。
・アニュス(1345年ー1349年)
・マルグリット(1347年ー1352年)
・イザベル(1348年ー1372年)ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティと結婚
ジャン2世はあまり有名ではないですが、ボンヌとの間の子の子孫がシャルル7世やフアン1世と深い関係があってビックリしました。
1349年にボンヌはペストで亡くなり、モーブッソン修道院に埋葬された。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)