シチリア女王マリア
文字数 1,580文字
シチリア女王マリアが38歳で亡くなった後、1372年にバルセロナ家とアンジュー家の間で結ばれていたヴィルヌーヴ条約というのがあったのですが、マルティーノ1世はそれを無視して単独でシチリアの統治を続けます。そして1403年には後にナバラ女王となるブランカと結婚します。
こうした話を聞くと、フアン1世の弟マルティンとその息子マルティーノはかなり野心的だったように思える。シチリア女王マリアと結婚してシチリア王になり、さらに後のナバラ女王とまで結婚している。余の子孫でも2人の女王と結婚した者は他にはいない。
フアン1世は不真面目王と呼ばれていますが、弟のマルティンやその子供は積極的に動いてシチリアの王となっている。その時の王はフアン1世だったのだから、フアン1世だって何もしないで狩りばかりしていたというわけではなかったような気がします。