エルサレム王アモーリー1世(2)

文字数 1,035文字

エルサレム王アモーリー1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
アモーリーのエジプトへの野心を知ったヌールッディーンもまた、全イスラムの支配者となるべくエジプトを得ようと目論んだ。そこでヌールッディーンは配下の武将シールクーフを派遣し、エジプトへの干渉を行った。1164年4月、シールクーフのエジプト進軍に際して敵の注意を引くためにヌールッディーンがパレスティナ北部で牽制作戦を行っている間、シャーワルを伴ったシールクーフ軍2000騎が敵に見つかるのを避けつつ、エジプトに入った。4月24日、シールクーフはビルバイスを奪い、5月1日にはカイロの城壁の下に陣を張った。シャワールを追い出した宰相ディルガームは混乱の中殺され、シャーワルが宰相に復権した。
当時のエジプトは混乱していろいろな国に狙われていたようです。
しかし、一旦復帰するやシャーワルはヌールッディーンとの約束(遠征の戦費を全額支払い、ヌールッディーンの宗主権を認め、貢納金を支払う)を破ってシールクーフに即刻の退去を求めた。そして、シールクーフを討つべくエルサレムに特使を送り、アモーリーに援軍を要請した。
シャワールはかなり酷い裏切りをしていますね。
これを受け、同年7月にアモーリーは再びエジプトへと遠征し、シールクーフの篭るビルバイスを包囲した。包囲は数週間に及び、シャーワルからも攻め立てられたシールクーフの状況は絶望的になった。これを知るとヌールッディーンはアモーリーをエジプトから撤退させるためにアンティオキア公国領のハリームの城を攻めてこれを落とし、王の不在中のエルサレム王国の国事を委ねられていたアンティオキア公ボエモン3世とトリポリ伯レーモン3世を捕虜とした。この報を受けるや背後を脅かされたアモーリーは撤退を余儀なくされた。
アモーリー1世のエジプト遠征はエジプト宰相シャワールからの要請を受けたからで、野心からだけではなかったようです。
何度かの折衝の後、アモーリーとシールクーフは同時にエジプトを去ることで妥協し、アモーリーは10月末にエジプトを去った。アモーリーはこの遠征でエジプトがヌールッディーンの手に落ちるのを防ぐことに成功した。しかし、一番の勝者は、シールクーフを使って権力の座に返り咲き、アモーリーを使ってシールクーフを撤退させてヌールッディーンの影響力を排除したシャーワルだった。
このようなことをしたシャーワルは後でヌールッディーンから酷い報復を受けると思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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