フルク5世(1)
文字数 837文字
フルク5世・ダンジュー(1089年または1092年ー1143年)は、フランスの貴族で、アンジュー伯(在位1109年ー1129年)、後にエルサレム王(フルク1世、在位1131年ー1143年)。アンジュー伯フルク4世とベルトラード・ド・モンフォールの息子。
同名の父フルク4世と区別するために周囲がル・ジュヌ(若伯)と称した。
史料によると母ベルトラードは1093年の聖霊降誕祭の日に父の元を去り、フランス王フィリップ1世妃となった。この醜聞により、王と新たな王妃となった母は教会から破門されたが、アンジュー伯である父はフランス王に忠実な臣下であり続けた。
思い出しました!ベルトラード・ド・モンフォールはルイ6世を虐めて暗殺まで企んだ継母です。僕も継母に虐められて父に孤児院に入れられたので、ルイ6世には同情します。全く継母というのは自分の子を後継者にするためには何をするかわからない、邪悪で危険な人間です。
ベルトラードはおそらく、前夫との息子であるフルクをフィリップ1世のもとに一緒に連れて行ったとされ、フルクは宮廷で育ち、父と争った異母兄ジョフロワ4世が戦死した後、アンジューの父のもとに戻ったとされる。
その際、アキテーヌ公ギヨーム9世に連れられて帰郷したが、フルクは捕虜にされ、ギヨーム9世は父と国境紛争を起こし、若フルクの身柄解放と引き換えに紛争地の割譲を要求した。若年だったフルクは、約1年アキテーヌでの捕虜生活を経た後に解放された。