アン・オブ・デンマーク(1)
文字数 1,063文字
アン・オブ・デンマーク(1574年ー1619年)は、イングランド王ジェームズ1世(兼スコットランド王ジェームズ6世)の王妃。父はデンマーク=ノルウェーの王フレゼリク2世。クリスチャン4世は弟。ジェームズ1世/6世の曾祖父であるスコットランド王ジェームズ4世の母マーガレット・オブ・デンマークもデンマーク王家出身であるが、アンはその弟フレゼリク1世の曾孫に当たる。
しかし1587年にジェームズ6世の母で前スコットランド女王メアリーがエリザベス1世に処刑されると、スコットランド貴族達が縁談を蒸し返し実現する運びとなり、1589年8月20日にジェームズ6世の代理を立てた結婚式を挙げ、11月23日に直接ノルウェーのクリスチャニア(オスロ)まで出向いたジェームズ6世と結婚した。
ブロンドの美貌の女性であったという。しかし軽簿で浪費癖があり、スコットランドの王妃であったころから財政を脅かし、宝石好きが高じて装飾品を買い込み、金細工師兼金貸しのジョージ・ヘリオットから借金を重ねた。また夫との間に諍いが絶えず、長男ヘンリー・フレデリックを産んだことが諍いのきっかけになり、アンが父にちなんで息子にフレデリックと名付けたかったのに対し、ジェームズ6世はヘンリーと名付けたかったことで争い(最終的に複合名ヘンリー・フレデリックで決着)、ヘンリー・フレデリックをスターリング城から出さない夫に対し強引に城から出そうと画策したことで夫婦は一層疎遠になった。