ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ
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ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ(1291年ー1330年)は、フランス王フィリップ5世の王妃。父はブルゴーニュ伯オトン4世、母はアルトワ女伯マティルド(マオー)妹のブランシュは夫の弟シャルル4世の王妃。ブルゴーニュ女伯(在位1315年ー1330年)およびアルトワ女伯(ジャンヌ1世、在位1329年ー1330年)でもあった。
1307年、フィリップ4世の次男ポワティエ伯フィリップ(後のフィリップ5世)と結婚した。2人の間には1313年までに1男4女が生まれた。
・ジャンヌ(1308年ー1349年)ブルゴーニュ女伯。ブルゴーニュ公ウード4世の妻。
・マルグリット(1310年ー1382年)ブルゴーニュ女伯。フランドル伯ルイ1世の妻。
・イザベル(1312年ー1348年)ヴィエノワ領主ギグ8世の妻。
・ブランシュ(1313年ー1358年)未婚のまま死去。
・フィリップ(1313年ー1317年)
1314年、夫の妹イザベルの密告により、姦通の罪で王太子ルイ(後のルイ10世)妃マルグリット、妹ブランシュとともに捕らえられ、ジャンヌはドゥルダンへ幽閉された。ジャンヌは己の潔白を主張し続け、ジャンヌら姉妹の母マティルド奔走も加わり、パリの法廷で彼女の無罪が宣言され、3人のうち彼女だけが許きれて宮廷へ戻った。彼女だけが、夫との間に信頼関係が築かれていたためだともいえる。
ジャンヌが許されてその後にも子供が生まれたということは、前に生まれていた子にとって幸運だったと思います。母が幽閉されたまま亡くなり、その後王が再婚して子供が育てば、前に生まれていた子供の立場は微妙なものになりますから。
1302年に父オトンが死ぬと、爵位はその唯一の男子であった幼い弟ロベールが継いだ。1315年にロベールが早世すると、オトンの娘のうち最年長であったジャンヌが伯位を継承した。1329年には母の爵位も継いでブルゴーニュ女伯兼アルトワ女伯となった。