マルティン・ルター(3)
文字数 940文字
その頃からルターの心を捉えて離さなかったのは、パウロの『ローマの信徒への手紙』に出る「神の義」の思想であった。いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないように努力し、できうる限りの善行を行ったとしても、神の前で自分は義である、すなわち正しいと確実に言うことはできない。この現実を直視していたルターは、苦しみ続けたが、あるとき突如として光を受けたように新しい理解が与えられるという経験をする。
ルターの苦しみは神に対して自分の義を証明できないということよりも、父の命令に背いて修道士になったことに対する恐れ、父から罰せられるのではないかという恐怖が根底にあったと思います。そして光を受けたというのは、神の啓示を受けたのではなくてルター自身の精神が気が狂うことを怖れて新しい解釈を与えた、極端な精神状況にある時ほど精神はうまい解決法を与えて生き延びようとします。それは個人の解決法であって神の啓示ではない、でも神の啓示と信じたことが大きな間違いでした。
そこでルターは、人間は善行(協働)でなく、信仰によってのみ(sola fide)義とされること、すなわち人間を義(正しいものである)とするのは、すべて神の恵みであるという理解に達し、ようやく心の平安を得ることができた。これが「塔の体験」と呼ばれるルターの第二の転機であった。ここでルターが得た神学的発想は、のちに「信仰義認」と呼ばれることになる。
ルターは、この新しい「光」によって福音と聖書を読み直すことで、人間の義化に関しての理解と自信を増していった。「正しいものは信仰によって生きる」、かつてあれほどルターを苦しめた「神の義」の解釈を見直したことによって、大きな心の慰めを得るようになったのである。