アキテーヌ公ギヨーム10世(4)

文字数 775文字

アキテーヌ公ギヨーム10世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい
1130年、ギヨーム10世は盟友であったアンジュー伯ジョフロワ4世とともにノルマンディーで作戦を展開することになった。この作戦の目的は、アンジュー伯夫人マティルダ・オブ・イングランドの権利を、簒奪者エティエンヌ・ド・ブロワから守ることであった。
マティルダ・オブ・イングランドはヘンリー1世の娘でヘンリー2世の母になります。エティエンヌ・ド・ブロワはイングランド王スティーブンです。ギヨーム10世はイングランドの歴史にも大きくかかわっていたことになります。
1137年4月9日の聖金曜日、かつてアナクレトゥス2世を支持したことに対する贖罪を目的としたサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼中、食中毒に罹患して死去した。
亡くなった時38歳くらいでまだ若いです。
旅先で食中毒による死というのは暗殺の可能性もありますね。
死の床でギヨーム10世は友でもあった主君のフランス王ルイ6世に自分の亡き後、当時15歳程であった長女アリエノール・ダキテーヌの後見及び、彼女に相応しい結婚相手との縁組を頼み遺した。ギヨームの遺言通りルイ6世はアリエノールの後見人となり、自分の息子の王太子ルイと結婚させた。
その後アリエノールはルイ7世と離婚し、ヘンリー2世と結婚しています。
ギヨーム10世が生前に宮廷で保護していた曲芸師やトルバドゥールの中でも、マルカブリュとセルカモンは、ギヨームの死後に哀悼を捧げている。セルカモンはプラーニュ(葬送の嘆き)を作曲した。
ギヨーム10世もまた芸術家を大切にしていたのですね。
中世後期にギヨーム10世の逸話の一部が伝説上の人物ギヨーム・ド・ジェローヌと聖ギヨーム・ド・マラヴァッレの基になったとされる。
ギヨーム10世は伝説上の人物や聖人と混同されていたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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