アルフォンソ11世(1)

文字数 1,476文字

アラゴン王はフアン1世の弟マルティン1世で後継者がいなくなり、カスペの妥協でカスティーリャの王子フェルナンド1世がアラゴン王に選出されました。トラスタマラ王朝がどのようにしてできたかを知るために、エンリケ2世の父アルフォンソ11世から調べてみます。作品集には下の画像から入ってください。
余の兄上はアルフォンソ1世で孫はアルフォンソ2世だが、カスティーリャではアルフォンソという名の王がもっと頻繁に続いたらしい。
余は1212年に『ナバス・デ・トロサ』の戦いに参加しているが、その時のカスティーリャ王がアルフォンソ8世でナバラ王はサンチョ7世、そしてアラゴン王はペドロ2世、すなわち余だ。
カスティーリャはかなり昔からアルフォンソという名前が王に使われていたようです。説明部分はラミロ2世に読んでもらいます。
アルフォンソ11世(1311ー1350)は、カスティーリャ王国の国王(在位1312ー1350)カスティーリャ王フェルナンド4世と王妃コンスタンサの唯一の男子である。
随分若い時に王になっていますね。
生後13ヶ月で即位したが、余りにも幼いため5人の王族が後見人グループを形成して政治を行うことになった。メンバーは母コンスタンサ、祖母マリア・デ・モリナ、叔父ペドロ大公、大叔父フアン大公、そしてフアンの従弟にあたるビリューナ公フアン・マヌエルが選ばれた。
即位してすぐからかなり複雑なことになっています。
しかし5人はバラバラに行動してまとまりに欠け、数年で次々とメンバーが死んだこともありカスティーリャは乱れた。まず1313年に母が急死、続いてナスル朝グラナダに介入し支配下の町を攻略していたペドロとフアンが1319年にグラナダの反撃に遭い敗死した。1321年に祖母も亡くなり後見人はフアン・マヌエルしかいなくなってしまった。
王位を巡る争いではなく、幼いアルフォンソ11世が即位したために後見人が選ばれ、そこで争いが起きてしまったのですね。
新たな後見人にペドロの弟フェリペ、フアンの同名の息子フアン・エル・トゥエルト(隻眼のフアン)が選ばれたが、3人はカスティーリャを分割して対立、内乱で領土は荒廃し農民が外国へ逃亡、人口減少と悪循環に陥った。
なんかカスティーリャは大変なことになっていますね。
余の娘ペトロニーラも1歳でアラゴンの女王になった。余は娘を20歳以上年の離れたバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世と婚約させて退位し、余生を修道院で過ごした。アラゴンの統治はほとんど娘婿に任せることになったのだが、結果としてこれがよかったのかもしれない。
私達バルセロナ朝のアラゴン王は、ラモン・バランゲー4世のおかげで安定したアラゴンの王位を継いでいることになります。
こうした中、成長したアルフォンソ11世は1325年に14歳で親政開始し、フアン・マヌエルの娘コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャと結婚した。コンスタンサは隻眼のフアンと婚約していたが、王家からのアプローチに応じたフアン・マヌエルが破棄、結婚相手をアルフォンソ11世に切り替えた経緯があった。両者を分断させたアルフォンソ11世は翌1326年にフアンを暗殺、1327年にコンスタンサと離婚し、摂政であったフアン・マヌエルを追放した(同年にフェリペも死去)
親政を開始してすぐから、アルフォンソ11世は婚約者がいた娘と結婚、暗殺、離婚、追放とかなり過激ですね。
カスティーリャでのペドロ1世とエンリケ2世の争いについて調べていたら、父アルフォンソ11世もかなり過激な人生だったということがわかりました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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