フス戦争(2)
文字数 1,174文字
リパニの戦いは1434年5月30日にプラハの40km東のリパニで発生した戦い。フス戦争を実質的に終わらせた。ボヘミア同盟(ウトラキスト、穏健派フス派+カトリック)が大プロコフ率いる過激派フス派(ターボル派+シロッツィ)を破った。
ウトラキストが交渉による平和的解決を試みたが、3日間の交渉は決裂した。同盟は進軍したが、大砲の射程内には入らず撤退した。過激派はワゴンブルクを解除して追撃したが、この撤退は過激派をワゴンブルクから引きずり出すための罠で、同盟の射撃に曝された。同時に過激派陣地近くに隠れていた同盟軍の重騎兵が、開いたワゴンブルクに侵入した。
過激派は短時間で崩壊し、シロッツィ隊長のチャペクは部下と共に近くのコリーンに撤退した。戦闘は軽装備の過激派への虐殺となり、大プロコプと小プロコプは戦死した。ロハーチは捕虜となり、助命を約束されて投降した700人の一版兵は騙され、焼き殺された。
さらに1439年、ポーランドでは既に王が代替わりしてヴワディスワフ3世となっていたが、フス派の略奪行為に手を焼いていたポーランド王国政府はついに本格的な一斉取り締まりに乗り出し、グロトニキの戦いでポーランドにおけるフス派を壊滅させた。これによってフス戦争はすべて終わった。
フス派は強い信仰心を持ち、最新の武器を持ってポーランドとも協力して戦い、カトリックの十字軍からも恐れられていました。でも長い戦争でボヘミアの農村は荒廃して内部抗争が起きてしまいました。ポーランドでのドイツ軍やカトリックの十字軍に対しては無敵でも、結局戦いだけに特化した集団は、戦いの終わった後を考えていなくて内部崩壊してしまい、ものすごく残酷になっています。そしてこれはもうフスやウィクリフの考えとは大きく違っていると思いました。