ブルゴーニュ公ジャン1世(4)

文字数 1,388文字

ブルゴーニュ公ジャン1世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1418年にアルマニャック伯がパリの暴徒に暗殺され、ブルゴーニュの軍がパリへ入城、以降ブルゴーニュ派がパリと王を支配するようになった。
アルマニャック伯ベルナール7世が暗殺されました。アルマニャック伯ジャン1世の孫で私の義理の甥になります。そのような人間がパリの暴徒に暗殺されたというのは許せないです。
しかし両派の対立によりイングランドに対し有効な手を打てず、ノルマンディーを征服される結果となった。このため1419年に、王太子シャルル(後のシャルル7世)と無怖公はイングランドに対して共闘すべく和解の交渉を行ったが、交渉の場であるモントロ―で無怖公は12年前のオルレアン公ルイ暗殺に対する復讐として王太子の支持者により暗殺された。
これで、はっきりわかっているだけでもオルレアン公ルイ、アルマニャック伯ベルナール7世、ブルゴーニュ公ジャン1世の3人が暗殺されています。なんとも後味の悪い事件ですね。
事件の詳しい内容は現在もわかっておらず、アルマニャック派の計画的な犯行だったのか、小競り合いから殺人へと至ったのか諸説ありはっきりしない。これにより跡を継いだ長男のフィリップ3世はイングランドと公式に同盟を結んで王太子と敵対し、ヘンリー5世のイングランド・フランスニ重王国へと道を開くことになる。
今度はブルゴーニュ公のフィリップ3世が敵になるのですか?
ブルゴーニュ公フィリップ3世については、次に紹介します。
無怖公はフランスでの地盤確保は最終的に失敗したが、ネーデルラントでは着実に布石を打ち、1408年のリエージュ反乱鎮圧を機に介入を深め、甥でアントワーヌの遺児ジャン4世とジャクリーヌを結婚させ、エノー・ホラント・ゼーラント伯領の継承権を握った。死去直前の1419年2月に公位相続前のフィリップ3世がジャクリーヌと文書を交わし、将来はヴァロワ=ブルゴーニュ家が伯領を継ぐことを明文化した。リエージュもブルゴーニュの保護領となり、無怖公の下でネーデルラントの一体化と相続が進められていった。
ブルゴーニュ公ジャン1世は殺されたけど、広大な領土が子のフィリップ3世に受け継がれたのですね。
妻マルグリットとの間に1男7女計8人の子女をもうけた。

・マルグリット(1393年ー1442年)1404年にフランス王太子・ギュイエンヌ公ルイと結婚、1423年にリッシュモン伯アルチュールと再婚

・マリー(1394年ー1463年)1406年、クレーフェ公アドルフ1世と結婚

・イザベル(1395年ー1412年)1406年、パンティエーブル伯オリヴィエ(シャティヨン家)と結婚

・フィリップ3世(1396年ー1467年)ブルゴーニュ公

・ジャンヌ(1399年ー1406年)

・カトリーヌ(1400年ー1414年)

・アンヌ(1404年ー1432年)1423年、ベッドフォード公ジョンと結婚

・アニェス(1407年ー1476年)1425年、ブルボン公シャルル1世と結婚

愛妾マルハレータ・ファン・ボルセレンとの間にギー・アントワーヌ、フォロポットの2男1女の庶子をもうけた。

愛妾アニェス・ド・クロイとの間に庶子ジャン・ド・ブルゴーニュ(1480年没、カンブレー司教)をもうけた。

次回からブルゴーニュ公フィリップ3世について話題にします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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