マルグリット・ド・クリッソン(2)

文字数 1,033文字

マルグリット・ド・クリッソンについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
彼女に関しては画像を見つけられなかったので、父と娘の争いの舞台となったジョスラン城の写真を載せています。
私はもうブルターニュでの争いがアルマニャック派とブルゴーニュ派の争いにまで繋がっていることを知ってショックを受けました。私はフランスこそ世界の中心、最も豊かで教養と文化が発展した国と信じていました。そのフランスでこんなにも複雑で陰険な争いがあったことを知り悲しいです。
1420年2月、マルグリットは息子のオリヴィエと共謀してジャン5世と弟のリシャール・デタンプを誘拐、シャントソー城に監禁した。
なんかまたすごいことをしてますね。ブルターニュの女性は強いというか、大胆というか・・・
背後にイングランドとブルターニュの結びつきを恐れたシャルル王太子(後のシャルル7世)の関与があったとされるが、王太子の姉でジャン5世の妻ジャンヌが素早く事態解決に動き、弟の王太子に手紙を送り詰問、家臣を団結させパンティエーヴル家打倒へ向け軍を進めた。
義理の孫シャルル7世が関与したかもしれないなんて・・・私はもう何も言えません。
パンティエーヴル家の支持者だったジャン・ド・クラン(ジル・ド・レの祖父)がモンフォール家へ転向したこともあり、シャントソー城は包囲されマルグリットらパンティエーヴル家は降伏、ジャン5世らは解放された。シャントソー城は破却されパンティエーヴル家も厳罰に処され、モンフォール家の優位が確定した。
フランスの争いは複雑になり過ぎて、どちらが正しいのかわからなくなってきますね。
1441年死去。息子でオリヴィエの兄弟ジャンが1448年にモンフォール家と和解、公位を請求しない代わりにシャントセなど土地をいくつか与えられ、フランスへ移住し両家の抗争に終止符が打たれた。
マルグリットの息子の代になってやっと抗争が終わったのですね。
1387年、パンティエーヴル家のジャン1世・ド・シャティヨンと結婚した。2人の間に4男1女をもうけた。

・オリヴィエ(1404年ー1433年)パンティエーヴル伯

・ジャン2世(?ー1454年)パンティエーヴル伯、ペリゴール伯

・シャルル(?ー1434年)アヴグール男爵

・ギヨーム(?ー1455年)リモージュ男爵

・ジャンヌ(?ー?)シャトーブリアン男爵ロベール・ド・ディナンと結婚、ベルヴィル領主ジャンと再婚

次回からブルターニュ公ジャン5世について調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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