スコットランド王ロバート1世(8)
文字数 982文字
ロバートはダンフリーズからグラスゴーへ馬を急がせ、そこでロバート・ウィシャート司教の前に跪き、自身の暴力と不敬を告白して司教から放免を叶えてもらった。ウィシャートの手によって、ロバートが再起できるように国中の聖職者たちが嘆願した。しかしその甲斐なく、ロバートは上記の罪で破門された。
現在でも残るイングランド側の記録では、事の顛末は全く異なっている。それによると、カミンの殺害はスコットランド王位を得るための計画であった。その証拠として、エドワード1世は教皇に宛てた手紙の中でロバートの破門を求めているのである。ロバート1世がカミンを殺すという背信行為の情報をエドワード1世が得ていたと述べる記録は、イングランドではこれまでのところ一つも見出されていない。イングランド側では、エドワード1世はその数日前までカミンが殺害された報を聞いてなかったと述べている。
ダンフリーズでカミンが殺されてから6週間後の1306年3月25日、パース付近のスクーンにおいて、正式かつ厳粛な儀式のもと、ロバートはウィリアム・ドゥ・ランバートン司教から王冠を授けられ、ここにスコットランド国王ロバート1世が誕生した。ウィシャードがイングランドの目を盗んで密かに隠していた王家のローブと衣服が司教の手によって運び込まれてロバート1世に着せられた。マレーとグラスゴーの両司教はアサル伯、メンテイス伯、レノックス伯、マー伯と同じく出席した。スコットランド国王たる偉大な紋章が、ロバート1世の玉座の後ろに据え付けられた。