シャルル・ダルトワ

文字数 903文字

ロベール3世・ダルトワの孫でありながらフランスの大元帥にまでなり、ニコポリスの戦いで捕虜になって獄死したフィリップ・ダルトワの子、シャルル・ダルトワについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
ウー伯シャルルの胸像、シャルル・ガヴァルによる素描、19世紀、と書いてありました。
立派な肖像画が残されている者とそうでない者、差が激しい。
シャルル・ダルトワ(1394年頃ー1472年)は中世フランスの貴族、ウー伯(在位1397年ー1472年)。ウー伯フィリップ・ダルトワとベリー公ジャンの娘でオーヴェルニュ公領の女子相続人であるマリーの間の長男。
ベリー公ジャンというのはフランス王ジャン2世の三男で、兄にフランス王シャルル5世とアンジュール公ルイ1世が、弟にブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)がいます。
フィリップ・ダルトワはベリー公ジャンの娘と結婚するとは、運がいいですね。
シャルル・ダルトワは父がニコポリスの戦いで捕虜となって客死したため、わずか3歳でウー伯領を相続した。
ニコポリスの戦いで酷い負け方をしたのは、ブルゴーニュのバカ息子(無怖公)に責任があります。みんなもっとあのバカ息子を恨むべきです。
1415年21歳の時にアジャンクールの戦いに参加してイングランド軍の捕虜となり、23年間もの長い捕虜生活を送った。1438年に解放された時は44歳になっていた。
父は捕虜となって客死し、本人も23年間捕虜になっていた。随分運の悪い男ではないか。
でもまあイングランドとの戦いは祖先が原因を作っているのですけど・・・
その後はノルマンディーやギュイエンヌの王領地の知事を務め、1465年に70歳の高齢でパリ軍事総督に就任する。
年を取ってから活躍するタイプのようだ。
1448年にジャンヌ・ド・サヴーズと結婚したが翌1449年に死別。1454年に母方の従兄にあたるヘント城伯ジャン4世の娘エレーヌ・ド・ムラン(1473年没)と再婚するが、2人の妻との間に嫡子を授かることは無かった。1472年に死去すると、ウー伯爵領は妹ボンヌの息子であるヌヴェール伯ジャンが相続した。
次回からこの妹のボンヌを追ってみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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