ゾフィー・フォン・バイエルン

文字数 1,723文字

王妃ヨハンナが亡くなった3年後の1389年にヴェンツェルはゾフィー・フォン・バイエルンと再婚しました。作品集には下の画像から入ってください。
これはゾフィーと夫ヴェンツェルの絵です。
ゾフィー・フォン・バイエルン(1376年ー1428年11月4日)は、ローマ王およびボヘミア王ヴェンツェルの2番目の妃。1419年にヴェンツェルが死去した後、暫定的にボヘミア摂政をつとめた。
ゾフィーはヴェンツェルより15歳年下ですね。
ゾフィーはバイエルン公ヨハン2世とカタリーナ・フォン・ゲルツの末子で唯一の娘である。エルンストおよびヴィルヘルム3世は兄である。またフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールは従姉妹である。
何度も言いますが、フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールは私の義理の孫シャルル7世の実の母ですが息子シャルルと対立し、殺そうとしました。
ゾフィーは伯父フリードリヒのもとランツフートで育った。ゾフィーは狩りを好み、それは後に夫となるヴェンツェルと共通することの一つであった。1388年、伯父フリードリヒはゾフィーをプラハへ連れて行き、ゾフィーの結婚のための交渉を行った。フリードリヒによると12歳のゾフィーはヴェンツェルに良い印象を持ったという。そしてこの結婚は政治的な理由もあった。ゾフィーの父ヨハン2世は娘の結婚交渉を兄フリードリヒに任せていた。
この時ヴェンツェルはまだローマ王だったから、伯父も父もゾフィーの結婚に期待するだろう。
1389年5月2日、プラハにおいてゾフィーはローマ王ヴェンツェルと結婚した。2人の結婚式は恐らく王の書記であったヤン司教によって行われたと思われる。ヴェンツェルはプラハ大司教と対立していたが、大司教はゾフィーの戴冠を行わないとしていた。王妃の戴冠は大司教のみがおこなうことができたためである。
ヴェンツェルはヴェンツェル写本などの多くの写本を作成することでこの結婚を祝った。また、ヴェンツェルは貞節に関する写本も作成した。2人の仲は良かったと伝わるが、子供は生まれなかった。
2人は仲良かったのに、どうして子供は生まれなかったのでしょうか?
ヴェンツェルは決して無能な君主ではなかったが、年代記においては偏った形で記述されている。ゾフィーは経済的な才能があったと伝わっている。1393年3月、ゾフィーの聴罪司祭ヤン・ネポムツキーが拷問により亡くなった。ヤンが王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだためといわれているが、ヤンはこの時ヤン・イェンシュテインとの確執に巻き込まれていた。
この事件が不思議です。もし憎んだり恨んでいる相手がいるとしても、王は普通それは他の者にさせて、自分の手を汚すようなことはしないと思います。誰かがヴェンツェルを陥れようとして、ヤン・ネポムツキーにわざと挑発するようなことを言わせたとか・・・
1402年から1403年にかけて起こった反乱とヴェンツェルの監禁の間、ゾフィーはフラデツ・クラーロヴェーに滞在した。ゾフィーは最初、ヤン・フスの支持者でフスの説教を聞いており、夫ヴェンツェル同様、フスに庇護を与えていた。しかし1410年にフスが教皇により破門されると、ゾフィーは支援をやめた。ゾフィーは1415年のフスの死により、反乱が起こると確信していた。
ゾフィーはかなり賢く、自分の考えを持った王妃だと思います。
ヴェンツェルは1419年に死去した。ゾフィーは義弟ジギスムントとともに避難を考え、ジギスムントのボヘミア王位継承権への請求をゾフィーは支援した。この時しばらくの間、ゾフィーはボヘミアの正式な摂政であった。1419年10月、ボヘミア人指導者らは、法と秩序を守ることを約束して、ゾフィーと条約に署名したが、ゾフィーはその後すぐに権力を失ってしまった。
ヴェンツェルの死後、ゾフィーの行動はまともです。従姉妹のイザボーとは全然違います。
ゾフィーとジギスムントはプレスブルクの領地の管理を一緒に行った。ゾフィーとジギスムントが恋愛関係にあるという噂が立ったが、ジギスムントはゾフィーは恐らくポーランド王ヴワディスワフ2世と再婚するだろうと述べたという。

ゾフィーは1428年11月4日に死去した。

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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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