異端審問(1)
文字数 1,120文字
Con la idea de defender la pureza de la fe se justificó la creación de la denominada Santa Inquisición, por el Papa InocencioⅢ, a principios del sigloⅩⅢ,
bajo las presiones del emperador FedericoⅡde Alemania, para acabar con la herejía de los cataros y albigenses, considerados como "alteradores del orden social".
インノケンティウス3世はここにいる人と関係あることだけでも、フリードリヒ2世の後見となり、第4回十字軍を提唱し、イベリア半島でのレコンキスタでの一致団結を呼びかけ、アルビジョア十字軍を派遣しています。1215年に第4ラテラン公会議で「教皇は太陽、皇帝は月」と演説しています。
余の父上はインノケンティウス3世の世話になっている。だがその後の教皇と父上は対立し、余は教皇にそそのかされて反乱を起こした。「教皇は太陽、皇帝は月」などという言葉がなければあのようなことにはならなかったかもしれない。
その通り、アルビジョア十字軍で異端とした者を徹底的に抹殺したが、異端審問という制度は続いた。教皇は変わり、私達の時代には教皇は批判されて宗教改革が始まったが、逆にそれによって異端審問はますます厳しくなった。