カスペの妥協(1)
文字数 1,256文字
ルナ伯ファドリケ(1402ー1438、8歳)マルティン1世と王妃マリア・デ・ルナ(1358ー1406)の唯一の男子であったシチリア王マルティーノ1世の庶子。王妃マリアと同じルナ家出身の教皇ベネディクトゥス13世がファドリケを正当な継承者として認めていた。
私もそう思います。我が子マルティーノの血を引く孫ファドリケを可愛がっていたと思います。弟のマルティンがはっきり後継者として定めて遺言を残していればよかった、でもまだまだ嫡子が生まれるという期待があったのでしょう。
余の祖父でアラゴン王国建国の祖ラミロ1世も庶子であった。父、あるいは祖父である王がはっきり後継者として定め遺言を残していればマルティン1世の孫であるルナ伯ファドリケが王位を継ぐことができたかもしれない。
ウルジェイ伯ジャウマ2世(1380年ー1433年、30歳)アルフォンソ4世の男系の曾孫で、マルティン1世が王国の長官職に任命していた。マルティンの従兄の子にあたり、またマルティンの異母妹イサベル(1380ー1424、30歳)と結婚していた。