ナバラとアラゴンの関係(1)

文字数 1,277文字

スペイン語の本の資料として載っていたナバラとアラゴンの関係が興味深い部分があったので、ここでも少し紹介します。作品集のページには下の写真から入ってください。
1485, El 17 de septiembre de 1485 Pedro Arbués als Epila, nombrado por el Inquisidor General Torquemada, muere asesinado, en La Seo de Zaragoza.
1485年 1485年9月17日、異端審問官として名高いペドロ・アルブエス・アルス・エピラがサラゴサのラ・セオ(大聖堂)で暗殺された。
Siguió una terrible represión sobre los culpables y se dirigieron conversos aragoneses a Tudela (Navarra).
犯人への怖ろしい弾圧が行われ、アラゴンに住んでいた改宗したユダヤ人がトゥデラ(ナバラ)へ向かった。
1492, Edicto dado en Granada de expulsión de Castilla y Aragón de los judíos el 31 de marzo de 1492. 
1492年 1492年の3月31日にグラナダでカスティーリャとアラゴンに住むユダヤ人への追放令が出された。
Entre otros, Ramón de Xixena (Sigena) lugarteniente del juez de hermandad de Huesca, viene con judíos oscenses por la ruta de Ejea hacia Tudela.
その時ウエスカの裁判官の代理人であるラモン・デ・シヘナがウエスカに住むユダヤ人と一緒にエヘアからトゥデラへと向かった。
トゥデラはサラゴサとパンプローナの間に位置し、当時はナバラ領だった。トゥデラには元々多くのユダヤ人が住んでいたが、サラゴサでの異端審問官の暗殺事件やグラナダでの追放令が出た後はアラゴンに住んでいたユダヤ人の多くがトゥデラに向かった。当時ナバラは独立国で支配体制が違っていたからである。
どうしてミゲル・セルベートに関する伝記でナバラとアラゴンの歴史に関する話が長々と出てくるかというと、出身地がトゥデラであると主張するナバラ派の研究者は、ミゲルの母方の家系がユダヤ人であることに注目して、トゥデラ出身であってもそれを隠そうとしていたと考えているからです。
最初に購入した本は20年近く前に書かれていて、今はミゲル・セルベートの出身地はアラゴンのシヘナということで決着がつき、生まれた家が資料館になっています。でもこのナバラとアラゴンの関係の資料は、ユダヤ人の迫害の歴史も示していて興味深いです。
ナバラとアラゴンの関係は1人の学者の出身地という問題だけでなく世界の歴史も大きく変えている。
はい、もう少し後になって日本の歴史にも関係ある人物の名前が出てきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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