マルティン・ルター(8)
文字数 869文字
ルターが1520年にあいついで発表した文書は宗教改革の歴史の中で非常に重要な文書であり、ルターの方向性を確定することになった。それは『ドイツ貴族に与える書』、『教会のバビロニア捕囚』、『キリスト者の自由』であった。『ドイツ貴族に与える書』では教会の聖職位階制度を否定し、『教会のバビロニア捕囚』では聖書に根拠のない秘跡や慣習を否定、『キリスト者の自由』では人間が制度や行いによってではなく信仰によってのみ義とされるという彼の持論が聖書を引用しながら主張されている。
ルターが短期間にこれだけの本を書いて注目を集めたのは、最初に徹底的にカトリックを批判しているからです。ドイツでカトリックに不満を持つ者が増えている中でまずはカトリックを批判する本を書き、その後で自分の説を述べています。不満を持った人間は権威を批判する代弁者を探して注目し、その代弁者に熱狂します。その人間の説、主張についてよく考えないで、代弁者となってくれただけでその人の説を信じてしまうのです。
レオ10世は回勅『エクスルゲ・ドミネ』(主よ、立ってください)を発布して自説の41ヵ条のテーゼを撤回しなければ破門すると警告したが、ルターはこれを拒絶。1520年12月に回勅と教会文書をヴィッテンベルク市民の面前で焼いた。これを受けて1521年の回勅『デチュト・ロマヌム・ポンティフィチュム』(ローマ教皇として)によってルターの破門が正式に通告された。