ボードゥアン3世(4)

文字数 1,355文字

ボードゥアン3世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1148年、遂に十字軍がエルサレムに到着した。この遠征部隊はフランス王ルイ7世と彼の王妃アリエノール・ダキテーヌ、ローマ王コンラート3世らが率いていた。十字軍遠征部隊の到着を受けて、同年中にボードゥアン3世はアッコにて会議を開催し、今後の遠征対象について諸侯らと話し合った。もし十字軍が北方のアレッポを征服すれば、彼らは再びエデッサを取り戻すことができたであろう。しかし、もしダマスカスを占領すれば、十字軍はヌールッディーンの勢力を抑制することができ、またエルサレムの国力増強も可能となったであろう。またダマスカスはキリスト教世界において、アレッポやエデッサよりも重要視された都市でもあった。以上の状況を踏まえ、ボードゥアン3世はダマスカスを攻略目標とすることに同意した。その4日後、十字軍はダマスカスの包囲を敢行したが、結局失敗に終わった。1154年、遂にヌールッディーンはダマスカスを占領した。これにより十字軍はムスリムに対して劣勢となり、エルサレム王国は危機的状況に追い込まれた。
エルサレム王国や他の十字軍国家はムスリム政権との戦いで常に危険に晒されていたのですね。
十字軍の遠征部隊は1149年までにヨーロッパへと帰還した。これによりエルサレムの軍事力は大きく激減した。ヌールッディーンは機を逃さず十字軍に攻勢を仕掛け、続くイナブの戦いでアンティオキア公レーモンを打ち取った。
アンティオキア公レーモンはギヨーム9世の子で、ギヨーム10世の弟、ラミロ2世の王妃となったアニェスの兄、アリエノールの叔父になります。アラゴンとも関係の深いギヨーム9世の子の1人がこのような形で戦死したというのはショックでした。
ボードゥアン3世は領主を失ったアンティオキア公国に急行し摂政として公国を統治した。戦死したアンティオキア公レーモンの未亡人コンスタンスはボードゥアン3世の母方の従姉妹であり、父親がアンティオキア公ボエモン2世であったことから、コンスタンスはアンティオキア公の正統な継承者であった。それゆえにボードゥアン3世はコンスタンスと結婚してアンティオキア公継承権を獲得しようと試みたとされるが、この試みは失敗した。
このあたりの関係はかなり複雑です。
またボードゥアン3世は北方に残されていたエデッサ伯国の領土Turbesselの防衛にも失敗し、1150年8月にはTurbesselの支配権のビザンツ帝国への移譲を迫られた。そして彼はアインタブの戦いでヌールッディーンの軍勢の攻撃に晒されつつも、Turbesselのキリスト教徒住民を守り抜き、無事に退避させた。1152年ボードゥアン3世とメリザンド女王はボードゥアンの叔母オディエルナとその夫のトリポリ伯レーモン2世との間で勃発した紛争を解決するためにトリポリへ向かった。ボードゥアンはこの紛争を調停したものの、いざエルサレムに帰還しようとした時、レーモン2世が暗殺された。ボードゥアンはその後しばらくトリポリ伯国に滞在し事件の事後処理などを行い、またオディエルナもトリポリに留まって自身の幼い息子レーモン3世の摂政として伯国の統治を継続した。
次から次へといろいろなことがあって大変そうです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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