ティコ・ブラーエ(24)
文字数 972文字
ティコ体系はまた、重要な革新をもたらした。純粋な天動説(地球中心のモデル)とコペルニクスが打ち出した純粋な地動説(太陽中心モデル)がいずれも惑星を軌道上で動かすために、回転する透明な球という考え方に頼っていた時代に、ティコの理論はこのような球を完全に排除した。
ヨハネス・ケプラーや他のコペルニクス派の天文学者たちはティコに太陽中心モデルを受け入れさせようと説得を試みたがティコはこれを拒否した。ティコによれば、自転(rotating)し、公転(revolving)する地球という考え方は「全ての物理的真実のみならず、最も重視すべき聖書の権威にも違反している」ものであった。
物理的には、ティコは地球は動き続けるためには遅く、重すぎると考えた。当時受け入れられていたアリストテレス物理学に従うと、天空(the heaven、その動きと周期は継続的であり永続的である)はエーテル(または第5元素、quintessence)から作られていた。この物質(substance)は地球上には存在しないが、軽く、強固で、変化せず、自然状態は円運動をしているものであった。対照的に、地球および地球上の物質は重く、自然状態では静止している物質で構成されているものであった。従ってティコは、地球は「動き難い」物体("lazy" body)であり、たやすく移動させられないものであると主張した。
ティコは日々太陽や星々が昇りそして沈むことはコペルニクスが主張するように地球の自転によって説明することも可能であると認めていたが、なお
「このような高速の運動を、極めて重く、密度が高く、不透明である地球に帰属させることはできない。それは空そのものの動きに由来するのである。その形状、情緻さ、そして不変性は、永続的かつ高速の運動により適うものである」
としていた。