ジョルダーノ・ブルーノ(4)
文字数 919文字
1591年、放浪を繰り返していたブルーノはフランクフルト・アム・マインにいた。ブルーノ後半期の主著とされる3部作『三つの最小者について』『モナド論』『測り知れざる巨大者について』はこのとき刊行された。
同年、ブルーノはヴェネツィアの貴族ズアン・モチュニゴから記憶術の指南を受けたいという召請を受けた。モチュニゴ家はヴェネツィアでも屈指の大貴族であり、ブルーノはイタリアに戻る決意をした。ヴェネツィアに向かう途中、パドヴァに滞在し、空席となっていたパドゥア大学の数学教授の座を得ようとするも、結局ガリレオ・ガリレイに教授職を持っていかれてしまった。
記憶術というのは単にいろいろな知識を覚えるだけでなく、天体の動きなども記号にしてその特徴などもすべて覚えて頭の中に映し出し、それによって宇宙からの力も得ようとするものです。当時は記憶術がものすごく流行っていて、ブルーノも記憶術の本を書いたりして有名になっていました。記憶術を知れば欲しいものが手に入ると考え、高い報酬を支払ってでも記憶術を習いたいという人はたくさんいました。
ヴェネツィアに来たブルーノは、モチェニゴの家庭教師を2ヶ月つとめた。だが、そのモチェニゴによって訴えられ、1592年、ヴェネツィア官憲によって逮捕された。さらに、ブルーノのことを聞きつけた異端審問所が介入し、最終的にローマの異端審問所に引き渡された。