ゴドフロワ・ド・ブイヨン(11)
文字数 795文字
ゴドフロワの治世は非常に短いものであったが、その中で彼はエルサレム王国をエジプトのイスラム勢力ファーティマ朝から守り抜き、同年8月にはアスカロンの戦いで彼らを撃破した。しかし彼は王国の処遇を巡りエルサレム総主教タンゴベルト率いるローマ教会勢力と対立した。
またゴドフロワ率いる十字軍はアスカロンの戦いの際にアスカロンを完全に制圧する勢いだったものの、対立するレーモン4世がアスカロンを占領し勢力拡大を図るのを妨害するために、アスカロンをあえて制圧しなかった。ムスリムの手に残されたアスカロンを巡って、その後の王国は長きに渡る抗争をムスリムと繰り広げることになった。
1100年、ゴドフロワは征服活動によって直接的にエルサレム王国の領地拡大を図ったものの不発に終わった。しかし、1099年の大勝利と続く遠征のおかげで、アッコ・アスカロン・アルスフ・ヤッファ・カエサリアといった多くの諸都市がエルサレム王国の傘下に組み込まれた。
しかしこの頃も、ゴドフロワはタンゴベルト総主教と対立を続けた。ただこの対立の原因は明らかとなっていない。タンゴベルトはおそらくエルサレム王国をローマ教皇直属のレーエンに組み込もうと試みていたものとされているが、彼の最大の意図は今も謎とされている。またこの主張の多くはギヨーム・ド・ティールの文献に依拠しているが、この出来事に関する彼の文献の記述は若干の問題をはらんでいるとされている。