ジョン・ノックス(2)
文字数 835文字
ノックスは、最初ジュネーブに滞在し、それからフランクフルトに移った。ジュネーヴでジャン・カルヴァンに学び、改革派神学と長老制の体験と知識を得た。また彼は新しい礼拝式文も作成した。それはスコットランド宗教改革の教会において採用された。彼はジュネーヴを去ってフランクフルトのイギリス亡命者教会に向かうが、結局、礼拝観に関する相違のためにイングランド国教会と袂を別つ事になる。
ノックスは、スコットランド信条を作成し、改革派の教会を建て上げた。スコットランド女王メアリー・ステュアートの治世下で、プロテスタント宗教改革の指導者として働き続けたのである。ノックスはメアリー・ステュアートと何度も会談し、ローマ・カトリックの習慣をやめるように諭した。
プロテスタントはカルヴァンの思想が入ることでより過激なものとなり、暴力的な手段を使ってでもカトリックの権威を壊し、新しい教会制度を作っていこうとしています。その考えは教会だけでなく王を頂点とした封建制度ですら攻撃して崩すことを許し、不満を持つ貴族が革命を夢見て飛びついてしまったのではないかと思いました。