メアリー・オブ・ギーズ(5)
文字数 956文字
1559年5月10日、カリスマ的な存在であったノックスは、パースのセント・ジョン教会で偶像崇拝の根絶と聖遺物の破壊を訴えた。これを契機に国内で反乱が勃発した。わずか2日間の間に、荒れ狂う民衆の手で3ヶ所の修道院が破壊され、聖遺物が奪われる。
さらに、この暴動は瞬く間にスコットランド全土の教会に広がった。5月22日、組合貴族達は武装蜂起を決定し、イングランドへ援助を求めた。マリーもフランスの弟達に援助を要請を求めるべく、フランスに行った。また、彼女は息子フランソワとメアリーにも会いたいと考えていた。4月23日のマリーからの手紙で、メアリーは母がフランスを訪れる事を知ると、自分はとても幸せであり、母の期待に添えるようにがんばって勉強し、立派な人間になりたいという手紙を書いている。マリーは9月25日にルーアンの宮廷に到着した。宮廷では歓迎式典が開かれた。長い間離れ離れになっていた親子は楽しく語り合った。
しかし親子の対面以外では、マリーのフランス訪問に収穫はなかった。アンリ2世に財政援助をしつこく懇願したため、かえって逆効果になってしまったからだった。フランスの駐屯軍を養うために、彼女は大変な財政難に陥っていて、使用人の給料さえ満足に支払えなくなっていた。さらにこの月、メアリーがフランスにやってきた時、「世界一すばらしい妹だ」と言ってメアリーを歓迎した息子、フランソワが小児病にかかり、急死してしまった。マリーはこの悲しみを母宛ての手紙に書いている。