ヨハン・フォン・ルクセンブルク(1)
文字数 1,098文字
カール4世の父ヨハン・フォン・ルクセンブルクについて話題にします。神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の子でもあるのですが、本人は皇帝にはなっていないので、日本ではあまり知られていないと思います。このハインリヒ7世はフリードリヒ2世の子ハインリヒ7世とは別人です。作品集には下の画像から入ってください。
ヨハン・フォン・ルクセンブルク(1296年ー1346年)はルクセンブルク家のボヘミア王(在位1310年ー1346年)およびルクセンブルク伯(在位1313年ー1346年)。父はローマ皇帝ハインリヒ7世、母はブラバント公ジャン1世の娘マルガリータ。息子に皇帝カール4世がいる。父と息子は皇帝に即位したものの、自身は帝位を得ることはなかった。
ヨハン・フォン・ルクセンブルクはパリで育つ。1310年、ボヘミア王(ハンガリー王とポーランド王も兼ねた)ヴァーツラフ3世の妹エリシュカとプラハで結婚し、エリシュカの姉アンナの夫であるケルンテン公ハインリヒ6世に代わってボヘミア王に選ばれた(名目上のポーランド王位も得ている)
1313年に父である皇帝ハインリヒ7世が死亡し、次期皇帝の最有力候補者となったが、ルクセンブルク家の強大化を快く思わない選帝侯は、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公ルートヴィヒ4世を新皇帝に即位させた。
ハプスブルク家からもフリードリヒ3世が選出され、二重選挙となった。フリードリヒを支持したのはライン宮中伯ルドルフ1世、ザクセン公ルドルフ1世、ケルン大司教ハインリヒ・フォン・フィルネブルフ、ケルンテン公ハインリヒ6世の4名、ルートヴィヒを支持したのはマインツ大司教ペーター・フォン・アスペルト、トリーア大司教バルドウイン・フォン・ルクセンブルク(ヨハンの叔父)、ボヘミア王兼ルクセンブルク伯ヨハン、ブランデンブルク辺境伯ヴァルデマールの4名である。