アルフォンソ4世(1)
文字数 1,425文字
私は前回の話を聞いて、もしかしたら私の死因は暗殺ではないかと考えてしまいました。狩りの最中での突然死、しかも私は王妃とその寵臣に宮廷を牛耳られ、国の財政を傾かせているのに狩りに夢中になっていた不真面目王です。暗殺される理由は充分にあります。
フアン1世、ごめんなさい。僕はフアン1世が暗殺された可能性もあるなんて酷いことを言ってしまいました。カスティーリャのペドロ1世とエンリケの争いの話を聞いて、ユダヤ人を登用していたペドロ1世が殺され、エンリケが王になったからこそユダヤ人への迫害もひどくなったと考えました。でもそのペドロ1世に味方したエドワード黒太子も住民3000人を虐殺している、何が正義かよくわからなくてモヤモヤして、つい争いに巻き込まれないでのんびりしていたフアン1世は暗殺されたかもしれないと言ってしまいました。
百年戦争の前後、イングランドやフランス、カスティーリャなどの王家は争いや殺し合いがあってドロドロしていました。そんな中でアラゴンは王家の中での争いが少なく平和だったようですが、本当にそうなのか、フアン1世の祖父アルフォンソ4世にまでさかのぼって調べてみます。作品集には下の画像から入ってください。
アルフォンソ4世(1299ー1336)は、アラゴン王、バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位1327ー1336)慈悲王と呼ばれる。ハイメ2世(公正王)とその王妃であったナポリ王カルロ2世の王女ブランカの次男。
ウルジェイは現在はラ・セウ・ドゥルジェイと呼ばれ、スペイン・カタルーニャ州リェイダ県にあるムニシピオ(基礎自治体)です。アルフォンソ4世の子の1人ハイメ(1321ー1347)はウルジェイ伯となり、孫のジャウマ2世はペドロ4世の娘イサベルと結婚し、1410年に王位を請求しています。
テレサ・デ・エンテンサとの間に、以下の成人した子女がいる。
・コンスタンサ(1318ー1346)マヨルカ王ハイメ3世(1349年没)と結婚。
・ペドロ4世(1319ー1387)
・ハイメ(1321ー1347)ウルジェイ伯。