ヨハン・フォン・ルクセンブルク(2)

文字数 1,312文字

カール4世の父、ヨハン・フォン・ルクセンブルクについての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
1322年、ルートヴィヒ4世とフリードリヒ3世の間で行われたミュールドルフの戦いでは、ヨハンはルートヴィヒ4世の側で参戦した。
ルートヴィヒ4世はヴィッテルスバッハ家(バイエルン公)、フリードリヒ3世はハプスブルク家です。
この戦いは皇帝位を巡る争いですよね。なぜそんなに皇帝位を巡って激しく争い戦争にまでなってしまうのか、よくわからないのですけど・・・
1323年にはルートヴィヒ4世がブランデンブルク辺境伯位をヨハンに与える約束を破ったことや、ハプスブルク家がハンガリー王カーロイ・ローベルトと結ぶなどの影響から、ルートヴィヒ4世とヨハンの関係は対立へと変化した。ルートヴィヒ4世は対立を続けるが、後にハプスブルク家のオーストリア公アルブレヒト2世らの仲介を受けて一旦和解し、ヨハンは捲土重来を期して勢力の拡大を図る。
捲土重来(けんどちょうらい)というのは、一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ、だそうです。
1327年にシレジア諸侯を臣従させ、シレジアに勢力を伸ばした。ただしシフィドニツァ公ボルコ2世だけは臣従しておらず、ハンガリーやポーランドと同盟を結んで独立を維持したため、シレジアの完全な併合は1368年までかかることになる。
このあたりは本当に複雑ですね。
1330年から翌年にかけて2度イタリア遠征を行い、イタリアでの勢力確立を狙うが、この遠征は何の益ももたらさず、失敗に終わった。
この時の遠征にはカール4世も参加し、ルネサンス初期のイタリアの芸術家や文人と親交を結んでいます。
ヨハンは武勇に優れた名将ではあったが、たびたび財政悪化を招き、ボヘミアの首都プラハには税の徴収の時にしか戻らないとさえ言われた。
財政悪化というのは難しい問題です。
このため、ヨハン不在の間にチェコ人の大貴族達(ロノフ家のインジフ・ス・リペー、ロジュンベルク家のペドル1世など)の勢力が拡大した。1315年と1317年には大貴族との対立が頂点に達し、ヨハンは和解のため譲歩を余儀なくされた。これを転機としてヨハンは対外政策に傾斜し、チェコの不在期間が増大し、1333年にはチェコ貴族達から息子カールが招かれることになる。
祖父ヨハンはボヘミアの統治にも苦労していたのか。だが父上はボヘミアとプラハを発展させることに成功した。そして余の時代、ボヘミアは再び戦乱に巻き込まれてしまった。今度は全く別の、宗教の対立によって・・・
ヨハンは対照的にルクセンブルク伯領の発展には積極的で、そのため今日でもヨハンのボヘミア(チェコ)での評価は芳しくないが、対照的にルクセンブルクでの人気は高いという。
カール4世は神聖ローマ帝国の皇帝となり、ボヘミアの統治もうまくいき高い評価と人気を得ています。でも父ヨハンの統治はうまくいってなかったのですね。
ヴェンツェルの祖父ヨハンは自身は皇帝にはなれず、ボヘミアの統治もうまくいかず、皇帝位を巡る争いにも巻き込まれています。それでもこの父がカール4世の栄光を準備したのだと思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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