ハイメ1世の家族

文字数 1,256文字

今日は2000字家族小説に新しく『ハイメ1世の家族』を投稿しました。作品のページには下の写真から入ってください。
これが余の息子ハイメ1世の肖像画だ。どうだ、余に似てかっこいいだろう。
ハイメ1世は僕たちの時代でもかなり有名で、歴史の本にいろいろなことが書いてありました。
ハイメ1世はアラゴンの王様の中でもスペイン人に人気が高いと思います。日本ではまだあまり知られていませんが、とにかく小説や漫画にぴったりのドラマチックな生涯を送っています。
確かに余の生涯などは大半が修道院の中だけ、漫画やドラマにはなりにくいであろう。
ハイメ1世の生涯は、前半はかなり悲惨です。3歳の時には人質のようにして敵に預けられ、5歳で父ペドロ2世が戦死して母も同じころ亡くなり家族を失います。
余がもう少し長生きできればよかったが、戦場で死んでしまった。
その後ハイメ1世は5歳から8歳までテンプル騎士団の拠点の1つ、モンソン城に預けられます。
モンソン城には余も行っている。あの時は本当に楽しかった。
僕はけっこう不安も大きかったですよ。遠足で子供たちを引率する先生のような役割だと聞きましたから。それなのにラミロ2世とペドロ2世の2人は修道士の服を着たまま大きな声で歌って・・・ラミロ2世は修道院に長くいたからわかると思いますが、修道士というのは人前で感情を見せてはいけないのです。それがまるで陽気な酔っ払いのように大声で歌って・・・
あの歌を聞いてアラゴン王家には歌の名手はいないということがよくわかった。
とにかくハイメ1世は子供の頃人質にされたりテンプル騎士団の城で育てられたりと大変な苦労をしています。でもそういうところも小説や漫画、ドラマの主人公にピッタリだと思うのです。
子供の頃の苦労話がそんなにいいのか?
子供の頃苦労して、大人になってからは大活躍、そういう話が小説やドラマでは好まれるのです。それにハイメ1世はアラゴンの王様には珍しく子だくさんで愛人もたくさんいました。
領土を広げたことよりも、子供や愛人の数が評価されるのか?
やっぱり戦場だけでなく愛憎渦巻く宮廷というのはドラマになりやすいですから。
ドラマになりやすいかどうかはともかく、ハイメ1世は戦争だけでなく政治手腕もあって内政にも力を入れ、自伝的年代記まで書いています。これができたのはテンプル騎士団の城でよい教育を受けたからでしょうか?
騎士団でどのような教育が行われたかわからないが、修道院は長い間優れた教育の場でもあった。
僕が修道院に入れられたのも、そういう意味があったのですか?
君の父上がどのような考えで君を修道院に入れたかはわからないが、修道院が優れた教育の場であったことも確かだ。そして騎士団でも同じようなことが行われたかもしれない。もっとも騎士団は戦闘訓練もかなり行われたと思うが、それがハイメ1世の強さの秘密でもあろう。
ハイメ1世に関しては小説では書ききれなかったことがたくさんあるので、これから長編小説や漫画、ドラマの主人公となってくれることを期待しています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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