スコットランド王ロバート1世(13)
文字数 1,152文字
遠征に成功したことで勇気づけられたロバート1世の軍勢は、同時に1315年にはアイルランドへ侵攻した。伝えるところによると、その目的は同国のイングランドからの解放、(ティロン王ドーナル・オ・ニールのからの援助の要請に対する返答の意味を持つ)と継続する対イングランド戦の第二戦線を開くためであった。1316年にアイルランド人はエドワード・ブルースにアイルランド上王の王冠を授けている。ロバート1世自身も別軍を率いて、エドワードを助けるためにアイルランドへ赴いている。
侵攻と並行して、ロバート1世は自分の一族が統治するスコットランド・アイルランドの全土へ”パン・ゲール=大スコットランド主義”のイデオロギーを普及させた。この種のプロパガンダ活動は二つの要素によって助長された。一つはロバート自身の1302年におけるアイルランドのアルスター伯バラ家との同盟上の結婚、もう1つは母方のキャリック家を通じてスコットランドのゲール王統とともにアイルランドの王統を引いているということである。ロバート1世のアイルランドにおける祖先にはイーファ・マクマローがいるが、そこから遡るとマンスター王ブライアン・ボルとレンスター王に辿り着く。このような系譜上並びに地理上の結びつきに基づいてロバート1世は、自己の王国におけるスコットランド・アイルランド両国民間のパン・ゲール主義に基づく同盟という理念に期待を見出そうと試みたのである。
ロバート1世の理念はわかる気がします。私はアラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯と3つの称号を持っていました。アラゴンは連合王国で君主は1人でもそれぞれ議会は別にありました。スコットランドとアイルランドが同盟を結ぶことでイングランドに対抗しようという目的も大きかったと思います。
このことは、ロバート1世がアイルランドの首長に送った手紙からも明らかにされており、そこではスコットランド・アイルランドの民衆をnostra nacio (our nation)と呼んでおり、二つの民衆の共通の言語、習慣並びに遺産を強調している。
我等と貴方方並びに我等が民衆と貴方方の民衆は古の時代から自由であり、同じ民族を共通の祖先に持ち、共通の言語と習慣により熱烈に喜びを抱いた形で更なる親交が深まれることを望まるが故に、我等は最愛の親類たる貴方方に、神が我等民族(nostra nacio)が古の自由を取り戻してくれるように、双方間の永久に強化され侵されることのない特別な友好を取り決めるためにこの書簡を送る。