オンフロワ4世・ド・トロン(3)
文字数 890文字
オンフロワ4世は1165年頃、同名のオンフロワ(3世、オンフロワ2世・ド・トロンの子)とエティエネット・デ・ミリーの子として生まれた。オンフロワ4世がまだ幼い頃の1173年に父が死去した。間もなく、母エティエネットがOultrejourdan卿領を継承した。彼女はエルサレム王国執事ミレ・ド・プランシーと再婚したが、この夫は1174年10月に暗殺された。翌年、エティエネットはルノー・ド・シャティヨンと再婚した。祖父オンフロワ2世がバニャスの戦いで受けた傷が元で1179年4月22日に没したため、オンフロワ4世はトロン卿領を継承した。
1180年10月、オンフロワ4世はエルサレム王ボードゥアン4世の8歳の異母妹イザベルと婚約した。オンフロワ4世の継父ルノー・ド・シャティヨンとイザベルの継父バリアン・ディブランは、それぞれエルサレム王国内の貴族の二大派閥の指導者であった。ボードゥアン4世がハンセン病のため単独で王国を統治することができなかったため、両派閥が王国の実権をめぐって争っていたのである。
婚約時の約定に従い、オンフロワ4世はトロン、バニアス、Chastel Neufといった領地をボードゥアン4世に返上し、代わりに7000ベザントの貨幣封を与えられた。これはボードゥアン4世が、オンフロワ4世の下でトロンとOultrejourdanという大きな二所領が統合され脅威となる可能性を未然に防ぐためにとった方策だった。ボードゥアン4世は、1183年ごろにトロンの封土もしくはその用益権を母アニェス・ド・クルトネーに与えた。