バレンシアの歴史(3)

文字数 1,393文字

バレンシアの歴史の続きです。作品集には下の画像から入ってください。
ハイメ1世はアラゴン連合王国の構成国のひとつとしてバレンシア地方にバレンシア王国を築き、ユダヤ教徒、イスラーム教徒、キリスト教徒など、あらゆる宗派が王国の市民として生活することを認めた。レコンキスタ時点でのバレンシア王国には、イスラム教徒12万人、キリスト教徒65,000人、ユダヤ教徒2,000人が暮らしていた。
ハイメ1世がバレンシア王国でユダヤ教徒、イスラーム教徒、キリスト教徒など、あらゆる宗派が王国の市民として生活することを認めたのは素晴らしいことだと思います。僕が生きている16世紀のスペインではユダヤ教徒やイスラム教徒への追放令が出され、またルター派などプロテスタントへの取り締まりも厳しくなって多くの人が殺されています。
何度も言っているが、ハイメ1世は余の息子である。3歳の時に人質のように差し出し、5歳の時に余が戦死して父親らしいことは何1つしてやれなかったが、立派に成長してくれてうれしい。
1348年の黒死病やそれに続く伝染病、さらには度重なる戦争や暴動によって、14世紀中頃には人口が減少した。君主制の行き過ぎに反発して王国の首都であるバレンシア市民が主導した反乱が起こったほか、1363年と1364年にはカスティーリャ王国の攻撃を受け、早急な新市壁の建設を余儀なくされた。
1363年のカスティーリャ王はペドロ1世で、アラゴン王は私の父ペドロ4世が王でした。当時のカスティーリャはいろいろ複雑だったみたいですが・・・
バレンシア王国ではキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラーム教徒という3教徒の共存の問題もあった。ユダヤ教徒は水辺の土地に暮らし、経済的・社会的に発展し、その居住区域は周囲の教区内に徐々に拡大していた。
僕の父さんはユダヤ人の商人です。僕が生まれた頃はアラゴンに住んでいましたが、先祖はバレンシアに住んでいて財産を蓄えたかもしれないです。
レコンキスタ後にも都市に残ったイスラーム教徒は今日のモーゼン・ソレル市場の隣に定住していたが、1391年には暴徒がユダヤ人地区を襲撃し、キリスト教徒への強制改宗につながった。
キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒の共存は難しく、暴動が起きたり、強制改宗になったりするのですね。
15世紀はバレンシアの黄金時代と呼ばれ、経済発展を背景に文化や芸術が花開いた。この時期のバレンシアはアラゴン連合王国でもっとも人口の多い都市となっている。繊維製品がけん引する地場産業は大きく発展し、都市の銀行業務を支援する金融機関が設立された。
私は1396年に死んでいるので、バレンシア王という肩書を持っていたのに、残念ながら15世紀のバレンシアの黄金時代は知りません。
1492年にクリストファー・コロンブスがカスティーリャ王国から新大陸航海に出発した際には、バレンシアの銀行家がカスティーリャ女王イサベル1世に対して出資している。世紀末には絹製品取引所であるラ・ロンハが建設され、バレンシアはヨーロッパ中から商人を集める商業中心地となった。
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダは現代は世界遺産にも登録されていて、ガイドブックにも載っていました。
僕はまだ行ったことないけど、父さんはきっとここに行っていると思います。バレンシアがこんなに商業で発展していたなんて初めて知りました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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