ジョルダーノ・ブルーノ(7)
文字数 1,004文字
16世紀の後半、コペルニクス・モデルはヨーロッパ全域で知られるようになっていた。ブルーノはニコラウス・コペルニクスが観察よりも数学的整合性を重要視したことを批判していたが、地球が宇宙の中心ではないという点についてはコペルニクスに賛同していた。ただブルーノはコペルニクスの理論の中にある「天界は不変不朽で地球や月とは異なった次元のものである」という意見には賛同しなかった。ブルーノは「世界の中心は地球か太陽か」などという議論を超越し、3世紀のプロティノスやさらに後の時代のブレーズ・パスカルのような思想、すなわち宇宙の中心などどこにも存在しないという立場にたっていた。
ブルーノの在世時、コペルニクスのモデルにはまだまだ欠陥が多く、天動説の方が明快に説明できることが多かったため、コペルニクスの説に賛同した天文学者はほとんどいなかった。わずかにミヒャエル・メストリン(1550年ー1631年)、クリストフ・ロスマン(1550年代ー1600年以降)、トーマス・ディッグス(1546年ー1595年)などが挙げられる程度である。ヨハネス・ケプラー(1571年ー1630年)とガリレオ・ガリレイ(1564年ー1642年)はまだまだ若く無名の存在だった。ブルーノは本当の天文学者とはいえないが、もっとも早い時期に地球中心説を退けてコペルニクスの世界観を受け入れた著名人であった。1584年から1591年にかけて執筆した著作の中でブルーノは盛んにコペルニクスを擁護している。
アリストテレスとプラトンは、宇宙は完全な球体であり、さまざまな球体が入れ子構造になっていて回転していると考えた。その回転力を与えているのは超越的な神であり、神は宇宙とは別次元に存在しているとされた。恒星は最も外側の天球に貼り付けられており、全宇宙の中心こそが地球であるというのが2人の宇宙観であった。プトレマイオスは恒星を1,022個数え、48の星座に分類している。惑星もそれぞれ透明な球体の上にあって運動していると考えられていた。