フランス王ルイ7世(7)

文字数 1,286文字

フランス王ルイ7世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
3月19日にアンタルヤから海路アンティオキアに入ったフランス軍は一息ついた。そこでアリエノールが叔父のアンティオキア公レーモンと共に、エデッサ伯領であるアレッポとカエサリアを奪回することを主張した。この時アリエノールとレーモンは親密であり、情を通じた(近親相姦)とされる説、南フランス風の愛情表現とする説がある。
アンテオキア公レーモンはギヨーム9世の子でギヨーム10世の弟、アラゴン王ラミロ2世と結婚したアニェスの兄になります。
アラゴン王家にもアキテーヌ公ギヨーム9世の血が流れているのであんまり悪口は言いたくないですけど、ギヨーム9世の子孫はみんな自由奔放というかトラブルメーカーばかりですね。
ルイ7世はこれに反対し、アリエノールを拘束してエルサレムに向かった(エルサレム巡礼にこだわったから、エデッサ奪回はレーモンだけ得をすることに反対したから、自分の家臣共々アンティオキアに残ることを主張したアリエノールに我慢ならなかったとも)
理由はどうであれ、この時からルイ7世はアリエノールの言いなりにはならずに自分の意志を貫いたのですね。
レーモンは戦死し、7月のダマスカスへの攻撃(ダマスカス包囲戦)も失敗に終わって、第2回十字軍はそこで解散した。ルイ7世夫妻は1149年の復活祭までエルサレムに留まり、2人は海路イタリアを経由、パレルモでシチリア王ルッジェーロ2世に歓迎され、トゥスクルムで教皇エウゲニウス3世との面会を経て11月11日にフランスに帰国した。
ルッジェーロ2世の娘コスタンツァと神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が結婚して生まれたのがハインリヒ7世の父フリードリヒ2世です。
第2回十字軍は失敗だったが、進展した出来事もある。1つ目はテンプル騎士団に関することで、十字軍出発前にテンプル騎士団へパリ郊外の土地を寄進、タンプル塔などが建てられたこの地を中心にテンプル騎士団はフランス管区を拡張、ルイ7世に同行してカドムス山の戦いで奮戦する働きを見せ、東方における重要戦力として注目された。
テンプル騎士団の拠点はアラゴンにもあり、たくさんの騎士団員が暮らしていたモンソン城で、ペドロ2世の子ハイメ1世が子供のころ育てられました。テンプル騎士団の拠点で育てられたことで、ハイメ1世は文武両道で優れた王となりアラゴンの領土を広げて征服王と呼ばれました。
2つ目はフランスの内政で、1145年から1147年にかけて国王会議(クリア・レギス)を開催、十字軍で不在の間王国の平和を確保するため大諸侯の支援と忠誠を取り付けた。以後もルイ7世は重要問題で国王会議を開き、1152年のアリエノールとの離婚協議、1155年の王国全土に適用する10年間の平和決議、1178年に息子フィリップ(後のフィリップ2世)の戴冠式挙行などを決めた。国王会議はフィリップ2世の代に発展して財政・司法が分離され、王権拡大に伴い地方組織と共に拡大していった。
ルイ7世とフィリップ2世の時代にフランス国内の内政が整えられ、発展したようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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