ヴェンツェル(3)

文字数 2,251文字

ヴェンツェルについての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
状況が一変したのは1412年、ピサの対立教皇ヨハネス23世(ピサ教会会議で選出されたアレクサンデル5世は1410年に死去)がナポリ王ラディズラーオ1世討伐のため、プラハで贖宥状を販売してからである。
1412年といえばアラゴン王を選出するカスペの妥協があった年で、対立教皇のベネディクトゥス13世や聖職者ビセンテ・フェレールがカスティーリャ王子フェルナンドを支持した時ですよね。
大学の有力者になっていたフスは贖宥状販売やそれを行ったヨハネス23世を非難したため、教皇から破門されたフスを庇い切れないと悟ったヴェンツェルはフスへプラハ退去を言い渡した。フスが去った後もヴェンツェルは大学の内紛を収めるべく調停を試みたが失敗、1414年になるとヨハネス23世から異端問題が解決しなければ十字軍派遣も辞さずという脅迫の書状が送られ、ボヘミアは徐々にヨーロッパから孤立していった。
もし、教会大分裂がなければ、カスペの妥協での結果も違い、フスが異端者とされることもなかったかもしれません。教会大分裂の中で教皇に選ばれているのに、ヨハネス23世は随分強気ですね。
ジギスムントがフスと交渉した末にフスはコンスタンツ公会議に赴きボヘミアを旅立ったが、公会議で裁判に引き立てられたフスが1415年に処刑されると、ボヘミアのフス支持者(ウィクリフ派)は憤慨してフス派を形成、カトリックとの対立を強めていった。
フスの処刑をきっかけに、ウィクリフ派はフス派となりボヘミアで大きな勢力になるのですね。
ヴェンツェルは異端排除を切望するジギスムントと新教皇マルティヌス5世の圧力を受けて右往左往していたが、1419年2月にジギスムントらに譲歩しプラハの教会をカトリックへ返還、フス派の教会を3つしか残さないとする決定を下した。これが引き金となり、7月30日に激怒したフス派が起こした第一次プラハ窓外放擲事件を契機に、ボヘミアはフス戦争へと突入していく。ヴェンツェルは事件の知らせを聞いてショックで卒中を起こし、8月16日に死んでしまった。58歳だった。
第一次プラハ窓外放擲事件というのは、フス派の中心となっていた新市街参事会を解散し、ローマ教会信徒だけの新たな参事会を組織した際、これに憤ったフス派勢力が7月30日、プラハ市庁舎を襲撃して市参事会員7名は窓から投げ落とされ、武装した市民によって全員惨殺されたという事件です。
ヴェンツェルは1370年にバイエルン公アルブレヒト1世の娘ヨハンナと結婚し、死別後1389年にヨハンナの従兄バイエルン=ミュンヘン公ヨハン2世の娘ゾフィーと再婚した。いずれの結婚でも子が得られず、ヴェンツェルの死後はジギスムントが相続人となったが、ボヘミアにはフス戦争で長い間入れず、彼が名実共にボヘミア王になるにはフス戦争終結後の1436年までかかった。
結局異母弟のジギスムントがボヘミア王にもなるのですね。
ヴェンツェルはとにかく評判の悪い人物で、無能、怠惰、酔っ払い、短気など数々の欠点が挙げられている。例として1398年5月にフランス王シャルル6世と教会大分裂解決の方針を話し合うフランスの会談に出席した際、前日に酔いつぶれてしまう失態を演じた。会談も不調に終わり、ヴェンツェルの醜態だけが知られることとなった。


なんかもうメチャクチャですね。
分別の無さも見られ、1388年7月に神聖ローマ帝国の都市同盟と諸侯が争っている最中にアラゴン王フアン1世と狩猟を知らせ合う使節を派遣したこと、皇帝戴冠式の資金目当てで1382年にイングランドと政略結婚を結んだことが挙げられる。
私とヴェンツェルは出会ってすぐ狩猟の話で盛り上がって意気投合しました。アラゴンとボヘミア、遠く離れた場所に住んでいましたが、手紙をやり取りして互いに狩猟の成果を自慢していました。でもそれだけで満足できなくなり、使節を派遣してそれぞれの狩猟の様子を実際に見てみようということになり・・・アラゴン王フアン1世とボヘミア王ヴェンツェル、どちらがより優れた狩猟王であるか、比べてみたくなったのです。
何を気楽なこと言っている、これは2人が優れた狩猟王であると褒め称えているのではなく、分別のない例だと言われているのだ。
そうだったのですか・・・私もヴェンツェルの悪い噂は聞いていました。でも彼は数少ない狩猟の腕を競えるかけがえのない友人でした。彼の性格や王としての態度にも問題がありますが、もっと平穏な国の王だったら悩まずに生きられたかもしれないと思うと気の毒です。
短気で怒りっぽい性格でもあり、ヤン・ネポムツキーの拷問に自ら手を貸した、串焼き料理人の技術の未熟さに怒って殺したなど残酷なエピソードも語られている。家領のルクセンブルクを抵当へ入れたことも非難の一因になっている。
わかりました。彼の悪いところは私から注意します。おそらく彼も私達と同じように亡霊になっているでしょうから・・・
ただ、チェコではヴェンツェルは好評な一面もあり、プラハにおける父の建設事業を継続させたことと街の整備、プラハの王室図書館の拡充など功績を挙げた。チェコ文化に親しんでいたこと、大貴族牽制のため市民を側近に取り立てたこと、素面では市民に愛想よく振る舞っていたこと、最晩年を除きフス派を擁護し続けたことからドイツ、ルクセンブルクのヴェンツェルに対する評価は厳しいが、チェコの評判は良い傾向にある。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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