オリヴィエ・ド・クリッソン(3)
文字数 1,196文字
クリッソンはブルターニュに居場所がないためパリに帰還すると、シャルル6世にジャン4世の犯行を訴えて味方につけ、王家とパンティエーヴル家の威光を背景にブルターニュへの影響力を取り戻そうと図った。シャルル6世もイングランド派のジャン4世に不信感を抱いていたためクリッソンに肩入れしたが、和解を先決と考え、クリッソンとジャン4世の間を調停し両者を和解させた。クリッソンはパリに留まり総司令官として任務に専念した。
だが、ジャン4世はクリッソンの暗殺をもう1度計画、1392年6月13日にクリッソンはジャン4世の策謀でかねてから不仲であるピエール・ド・クラン(後のフランス元帥ジル・ド・レの母方の曾祖父にあたる)に暗殺されかけた。
クリッソンは狭い路地で襲われ刃に倒れたが死に至らず、クランの凶行が明るみに出ると、シャルル6世は彼を不敬罪で財産、領地を没収した。ジャン4世と手を組んでいたらしいクランはブルターニュに逃げ込んだが、ジャン4世からは冷淡に扱われた。
遠征は中断されたが、シャルル6世の寵臣であったクリッソンに対して、王の叔父である政敵のベリー公ジャン1世とブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)がここぞとばかりに非難中傷を吹き込んだために、クリッソンは失脚し総司令官職を取り上げられジョスラン城へ引きこもった。ブルターニュ諸侯はクリッソンの保護を申し出ていたため、しばらくジャン4世に抵抗を続けていたが、フランスの後ろ盾を無くしたクリッソンはやがて抵抗を諦めていった。一方、シャルル6世の狂気は百年戦争の後半の原因の一つとなる。