フス戦争(1)
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フス戦争以前のフス派の戦いとしては、1410年に行われたポーランド王国、リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団との戦いがあり、ボヘミアから来たフス派義勇兵がヴワディスワフ2世率いるポーランド軍の援護についた。このときのチェコ人義勇兵にはヤン・ジシュカもいる。
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝ジギスムントは何度も「フス派に対する十字軍」を組織したが、ことごとく打ち破られた。この十字軍では、対陣中にフス派が聖歌を歌い出すとフス派軍の突撃を恐れた十字軍がたちまち壊走した、という逸話が伝えられている。1427年のタチョフの戦いから後、4年間は十字軍が組織されなかった。
1433年の北部ポーランドでの戦いにおける勝利に際しては、ボヘミア兵とポーランド兵はともに喜び、ヴィスワ川の河口近くで盛大な祝宴を催し、一同大いに気勢を挙げたという。19世紀プロイセン王国の歴史家ハインリヒ・フォン・トライチュケはこのときのことを「(フス派は)神の軍についての野蛮なチェコ人の歌を歌いながら(バルト)海に挨拶し、海水を瓶に入れ、バルト海が再びスラブのものになった記念とした」と描写し、ドイツ民族に対抗した西スラブ民族(ポーランド人とチェコ人)のこの時代の連帯を認めたのである。